【2021年追記】
検索等で結構ヒットしやすくなっていたりT2000の紹介記事としてリンクしていただいたりしているようなので「マツダ T2000」という車やオート三輪に関する内容を先頭にまとめて再構成しました。現車に関しては「動かないけど現車を見てみる」欄より下へどうぞ。
T2000・T1500に関しては下記サイト様が大変詳しいのでご興味のある方はぜひ
http://www.asahi-net.or.jp/~ip3t-nksn/
自身のTシリーズに関する知識もこちらのサイトからによるものが大きいです。
いきなりだけど別件で作ったイベントとかでよくみられるオート三輪代表格4種のかんたん解説です。正確さよりわかりやすさ重視のざっくり解説。
この記事はこの中の一番下、オート三輪の中では最も残存数が多いと思われる「T2000」のお話…
───
子供の頃すでに幻のような存在になっていたオート三輪。子供の頃にみたそれが忘れられずずっと気になっていたオート三輪。
戦前にバイクから派生し、戦後の復興を支え、1970年代に消えていった三輪トラック。今ではスポーティなドライバーズカーを得意とするマツダ(東洋工業)も元はといえばオート三輪メーカーの一つだった。
オート三輪のメリットは構造がシンプルで廉価、小回りが利く・不整地に強い(3輪なのでどれか1輪が浮くということが少なくトラクションがかかりやすい 4輪駆動車はまだほとんどない時代)、そして当時の税制・免許制度上での優遇などなど。
末期の車両こそ4輪車に近い姿になっているが、元は荷台付バイクな訳で、屋根もドアもなく、エンジンも空冷でバイクに近い存在だったのだ。
国が少しずつ復興・発展し、豊かになっていくと共に求められるものも多くなり、水冷4気筒エンジン、密閉型キャビン等、4輪車と同等の姿へ進化していった。
それと同時に道路が舗装され、広くなり、交通が高速化していくと3輪故の不安定さというデメリットが大きくなり、三輪免許の廃止等いくつかのメリットも薄れてしまい、役目を終えた「オート三輪」は自然と淘汰されていくことになる。
このマツダT2000は1962年~1973年頃に製造されたマツダオート三輪最大にして最終モデル。当時の4輪車に近いスペックを誇る。とはいえ車体を共通とした旧T1500(※)のエンジン拡大版なので元の設計は1959年&さらに前のモデルの設計を引き継いでいる部分もある。しかしその独特なデザインは今でも通用するんじゃなかろうか。
※T1500のモデル名は重複していた
1トン車…T1100(1959~1962)→T1500(1962~1973?)
2トン車…T1500(1959~1962)→T2000(1962~1973?)
特にその中でも最後まで重用されたのが、長い荷台を持つ13尺車(TVA32S)。
その名の通り13尺の荷台を持ち、なんと全長は6080mm(前輪も含む)、全幅も1980mmという堂々としたサイズ。先ほど書いた通り末期にはオート三輪のメリットというのは薄れてきていたが、末期になっても明確なメリットはいくつか残っていた。その一つがこの長尺車の存在だ。
三輪車はそんなにでかくならないだろうと思ってサイズの制限が無かったのだ。排気量や最大積載量の基準さえ満たしていればどんだけでかくても4輪小型貨物車より更に安い税金になるし、三輪免許→普通免許で運転できるという訳。
さすがにこれはアカンと「既存のモデルより大きくしてはならない」という規制が出来たのがT2000より何世代か前に13尺車が出現したタイミング。なのでマツダ・ダイハツ共に13尺車が最大となっている。また最大積載量も規制にあわせて2tとなっているが、当時は過積載が日常的に行われていたという点は無視できない。
いわば規制の隙間から産まれた化け物とでも言うべき存在。
税制・免許面でのメリットは薄れてきた時代だったが、こと長尺車においてはメリットが残っており、三輪特有の小回り性能と不整地走破能力に長尺物の積載能力を兼ね備えた13尺T2000は、代えとなる車両が少なく林業等で重宝され「本当に仕事で現役」な車両が平成の時代にまであったくらい。
その為オート三輪…いや60~70年代商用車全体の中では比較的現存台数が大目。皮肉にもオート三輪を駆逐していった同時代の4輪トラックの方が貴重な存在になっている。
元々実用車だったのでシンプルな構造・トルクフルなエンジン・頑丈なフレーム構造を持つのが強み。残存車両もクラシックカーとしてはラフに使われている個体が多いようだ。
そしてT2000以外にも言える事だが、三輪車という「誰が見ても異質で特異だと判るスタイル」もその残存率に拍車をかけたものと思われる。当時を知る人には懐かしく、当時を知らない人には昭和のアイコンだったり逆に新鮮だったり。
使わなくなっても静かに納屋で眠り続けたり、お店等で看板代わりに使われたり。
●年式について
1962年に製造開始したT2000&新T1500だが、1965年にマイナーチェンジが行われている。大きな差異はトランスミッションでシフトパターンが変化している(ギア比も変更された?)。また座席が左右一体型→2分割に変更されエンジンの点検を容易に、サンバイザーや燃料系の追加と主にインテリアの変更がメイン。マイナーチェンジ前のモデルは殆ど現存していない模様。
そして1970年には受注生産に移行したのだが、わざわざ受注生産品を買う人はどうしても欲しい=長く使うという訳で、結果的に受注生産以降の年式の残存数は多い。
製造終了年についてはハッキリしない。さっきから頃とか?とかついているのはそのせい。
一般的には最終的に74年まで製造されたとされているT2000なのだが、1973年末に保安基準の強化がされていて、それに対応した個体は自分の知る限り無い。なので実際の製造は1973年までで1974年は既製造車両の登録のみ行われていたのではないかと踏んでいる。
●バリエーションについて
実は意外とバリエーションが多い。
残存している車両の多くは替えがきかないからと重用されたT2000 ロングボディー車だが、合計9種類のバリエーションがある。
ロングボディー車の次によくイベントで出てくるのが最もコンパクトなT1500標準車&三方開き車(8尺車)。
低床コンパクトな車体でバランスのとれたスタイル、そしてT2000 ロング(13尺車)に比べて軽量で何より圧倒的に置き場所に困らないので残存している車両は積極的にイベント等に出ているものもおおい。
(いやね、T1500のほうが色々コンパクトで実際維持するにはいいだろうなーって思う。13尺ほんとでかい。)
中間となる10尺車は比較的珍しく↑の部品取り車は状態がよければ部品取りにするなんてもったいない存在だったはずだ。
そしてカタログ画像にあるが、よくみるとT2000にも8尺車がある。2トン積みかつ2000ccエンジンを積みながらT1500と同じショートボディ。外観上では燃料タンクの位置等がT1500と異なるがぱっと見はT1500。
一部の資料でT1500はショート、T2000はロングと紹介されていることもあるが実はそうとは限らない。とはいえこれまた残存数は少ないので現在見れるショートなTはほぼT1500と思っていいだろう。
●ナンバーについて
実は三輪貨物車は四輪貨物車とは別のナンバーが振られていた。6ナンバーだ。当時はいくらでかくてもこの6ナンバー。現在は6ナンバーは4ナンバーと同じ扱いとなっており、平成に3桁ナンバー導入前に4ナンバーが不足した際に短期間6ナンバーが充当されている。
残念ながら現在は三輪車もナンバーを取り直すと4ナンバーになる。
そう、4ナンバーだ。どんだけでかくても。全長6m越えだろうが全高2mオーバーだろうが4ナンバー小型貨物だ。三輪車にサイズ制限をしなかった事実は今も続く。
ちなみに未だに3輪車用の自動車税設定も残っていて安い。いつか4輪車に統合されてしまわないか心配だが、ナンバー取って3輪車用税設定の自動車税払ってみたい。
動かないけど現車を見てみる
上述の通りクラシックカーとしてはラフに使われている個体が多いT2000。
…といっても自分みたいなシロートがポンと買っちゃったぜ!乗っちゃうぜ!とできる車じゃない。ピカピカに整備された車両でも当然メカの知識と「主治医」となる旧車に通じたショップや整備士の協力がほしいところ。
なのに…不動車とはいえゲットすることになってしまった。どうしよう。子供の頃からの夢が叶ってしまったのだ。人生で最大の後先考えていない状態だし急転直下。
ざっくりと流れを書けば、旧車イベントでT2000を見れず、ネットで新しい写真が無いかと漁っていた時に見つけたインスタグラムに投稿された1枚の写真が発端だった。錆や汚れはあるものの状態がよさそうなオート三輪の写真。そこには「おじいちゃんの使ってたオート三輪、もうすぐ廃車 誰か治してくれないかなあ」といった内容。
これが潰されるなんてもったいない。とりあえず旧車関連の人づてがありそうな知人にそのインスタを送る。すると知人氏、早速連絡をとってしまう。とりあえず解体から救いたいから持ってくるという。あーもういいや、もし決まったら自分が引き上げ費用とか出すわ!と急転直下で自分が手を上げてしまった。
他の人も引き上げに名乗りを上げていたようだったが一番乗りだったのとその個体自体を治したいという意志もあり、自分達に譲っていただける事になった。
不動旧車であることや図体のでかさからか、地元の車屋さんには引き取りを断られ解体業者に出すところだったようだ。平成のインターネットで救われた。
しかしブレーキ固着等があり、引き上げ作業は12時間に及んだ。協力してくれた友人達、陸送会社の方、そしてオーナーさんご親族の皆さまの協力なしには絶対に無理だった事だったので、この場を借りてお礼申し上げます。
解体を免れ、25年ぶりに県外…いや敷地を出てきたであろうオート三輪。
1973年式マツダ T2000 13尺車 TVA32S型
引き上げ作業前にオーナーさんご親族が掃除してくれていたり、引き上げ作業中にも掃除したり、当然到着してからも掃除されているので見た目は今にも走りそうな雰囲気。現役時代はとても大切にされていたのが伺えるコンディションで、外装パーツの破損や欠品が殆ど無い。
製造終了前年の1973年式なのだが、すでに受注生産に入っていた時期で他のオート三輪は製造終了していた年。まさに最終世代のオート三輪。
その関係なのか純正とは異なる仕様もいくつか見受けられる。まず大きいのが荷台の材質。
T2000の長尺車は荷台が木貼りなのだがこの個体はがっつり鉄板が貼られている。オーナーさんご親族曰く新車時からこうだったハズとの事。後付けとは思えない仕上げだし、同仕様の車両があるようなので荷台メーカーのオプションかもしれない。鉄板の下には木があるが鉄板に守られたおかげで腐食は見られない。この荷台の広さなら建材の輸送に重宝したのだろう。
また荷物の侵入を防ぐために横棒が追加されたロードレスト、更なる長尺物をたてかけられるロードレストキャリアを搭載。サビついているががっちりしている。隠れているがその下の屋根は実は幌。休眠中に破けてしまっているので早めに貼り換えないと。
またリアランプは純正と異なり初代タイタン用と思われるものになっている。こちらも同じレンズを使っている個体が何台か居るらしいので、修理時の定番だったのかもしれない。
またリアにはロータリーマークが眩しい「岐阜マツダ」のディーラーステッカーが残る。同じくステッカーが残るハイドロマスター(ブレーキ補助装置)は後期T2000では標準装備だったようだ。
フロントボンネットにあるエアインテーク的なものは実はフロントサス点検口。グリスをここからさしましょう。ついている配線はウインドウォッシャー。この時代からちゃんとあったのだ。
さっきから写真にワイパーがついていないが、窓掃除の為速外してしまったため。ちゃんとある。
無鉛ステッカー。そうコイツガソリン車。
内張りなんてものはない。窓はくるくる回すやつですらない。まるで引き戸。
シートの痛みも少なくてビックリ。末期生産モデルの特徴であるシートベルトが見えるが、同じく末期に追加されたヘッドレストが基部だけになっている。後ろを見るのに邪魔だったのだろう。
シートの下に収まる2000ccのOHVガソリンエンジン。電装系も12Vでそこは2トントラックというより普通車感。水冷系がヤバい色になっているのでこの後速攻で取り外された。それ以外はぱっと見普通に汚れているだけ感がある。
シンプルなインパネ。メーターはスピードメーター・水温計・燃料計のみ。ハンドルがオシャレ。足元に見えるのはヒーター。写真にはないがフロアマットも若干の破れのみで残っていた。
とにかく全体的に現役時代に大切にされていたのが判る状態。ボディも致命的なサビは見当たらず、シャシーは錆止めが塗られた形跡がある。このままサバイバー状態での復活を目指せそう。
2018/06/02 現状を確認してみよう
まず引き上げ時に回転できるようぶっ壊したフロントブレーキは仕方ないので修理ベースにできるドナーを探すしかない。そこは長い目で見ていくとして、それ以外の部分。
主に修理をしてくれるのは友人のR氏。早速水冷系が取り外されているのだが、タンクの腐食が激しく穴も何か所かあいている。このタンクはリザーバーではなく水圧がかかる仕組みらしいのでここは最悪タンクの新造か。幸いラジエータの方は水漏れ等ないらしい。
そして電装系。後輩マツダ車による電力供給。
一部灯火類やセルモーターの動作を確認できたがバッテリーが完全に死んでいるので後日新品に入れ替えて再挑戦。
なんと死んでいる電装系のほうが少ないという見事な状態。ヘッドライト(ハイ・ロー)、ポジション、ウインカー、ハザード、ナンバー灯、ワイパー、ウォッシャーポンプ、ヒーターファン等が通電動作。死んでいるのはホーンと後退灯。当然古い設計の古い配線なので安全を考えれば追々配線を引き直す必要があるが驚きだ。
そしてメーターもしっかり点灯。優しい光。このオドメーターが進む日を目指さなければ。
んで今度はエンジン。初爆を確認するためプラグを清掃してセルを回す。
なんとかかってしまう。25年前のガソリンだぞ。
これはやはりオーナーさんが長期保管前にガソリンを満タンにしていたのが大きい。そのおかげで内部が満たされて腐食を抑えていたのだ。
冷却系を外しているので即切っているがこちらの復帰は案外早いかもしれない?
2018/06/09 部品取り車が来ていた
友人の手によりあり得ないペースで事が進んでいてビビっているのだが、比較的近場で部品取りにできそうな廃車体があるという噂があったので友人が探したところなんと↑の翌日に発見、その日中に「同型の修理に使うのなら」とOKになりその週のうちに引き上げてきてしまい…
週末見に行ったら並んでいた、このツーショットは恐らくごく短期間でこの後部品になっていく予定。なので部品取り車を重点的に撮影・記録しておいた。
友人が撮った引き上げ前の車内だが見事に土にかえろうとしていた。
こちらは10尺で年式は65年~69年頃のものと思われ、末期モデルにあるサイドマーカー等が無い(そもそも破損・欠品している部品も多いのだが)。
13尺より短い分更に小回りがきくので、山で使用されていたようだ。デザインの収まりもよく見えるが、御覧の通り見事に朽ちている。本来何十年も放置された車ってこうだよね。
しかしフレームは生きていたようで、クレーンでつるして引き上げ。なので13尺車で壊してしまったフロントブレーキ基部を移植できる…かもしれない(状態もそうだが10尺車と13尺車ではフロントホイールサイズが違ったので完全に同じとは限らない)。
また13尺車では交換されていた純正テールランプも残っていた。13尺車につけられていたタイタン用より更に小さく、確かにこれは目立たなかっただろう。
この個体自体の修理は非常に難しい上に、書類不明(抹消済み?)、カギもなしという部品取りにしてしまって惜しくないという意味ではいいのかもしれない。荷台の長さこそ違えど、マイナーチェンジ後のT2000が近場で出てくるという幸運。おそらく自分が次見に来る時には部品になっているだろうから感謝をしつつ写真を撮っておいた。
…ってもう1個部品が使われていた。13尺車のエンジンルームに冷却水タンクが。
なんと部品取り10尺車、この状態で冷却水タンクの水漏れがなかったらしい。ご都合展開にも程がある。補修跡もあり状態も良いとはいえないので本番前には対策が必要だが、これでとりあえずのエンジン動作確認ができたのだ。ありがとう部品取り10尺。
これによりエンジンの始動ができ、30分間のアイドリング動作や、壊した前輪を無理やり回しての自走移動が可能に(!)。
水道がある場所までいって25年ぶりと思われる水洗い。
またエンジンを回せることになったおかげで更にいくつかの状況が確認できた。
・後退灯はバックギア認識の接触が悪かっただけで生きていた。
・ダイナモはアイドリングをかなり高くすればとりあえず発電した。
・水圧がかかるとラジエーター上部からわずかな水漏れがある。
・燃料計・温度計は正常に動作。
・ギアが固い等細かい症状があるが、その辺はオイル等の消耗品交換で治りそう。
といったところ。
また冷却系はタンクを得たものの配管がダメなのことに代わりはないので代用部品で無理やり回している状態。あとは部品取り車のブレーキ基部を修復・移植できるかどうか。そして幌の張り直し。
…ってたった2週間の時点で道筋ができている時点で恐ろしくやばいんですけどね。水洗いした感じもボディはガッチリシッカリしていたし。この個体の素性の良さと友人の行動力・修理能力には驚かされっぱなし。自分は掃除や情報収集くらいしかできていない。
恐らくまともな状態で見れるのは最初で最後になるであろう10尺車に別れを告げつつ家路へ。さすがにこの後は展開が遅くなるだろう。
2018/06/30 部品取り車さらば
置き場の関係もあり本当に次見に来た時には部品取り車が消えていた。本当に前回が最初で最後の対面だった。
ある程度部品を外した後解体業者さんにがっつりバラしてもらったようだ。
モノがモノだけに解体業者さんも気をきかせて言う前に部品として外してくれたものも多かったようだ。証として車体番号プレートは自分が預かってきた。10尺車の解体は無駄にしないぞ。
そして本命のブレーキは某工場に運び込まれて…
ジュー(友人が撮ってくれた写真) この道50年のベテラン工場長によりバラしとオーバーホールが。
一方メイン車の方も足回りを外されていて…
なんか空でも飛びそうな状態に。車輪を外したオート三輪がここまで謎の浮遊感を出すとは。なんかレトロSF世界のトラックのよう。
こちらもフロントブレーキは既に工場に運び込まれていて、2台のブレーキを組み合わせるとのこと。
またさりげなくロードレストキャリアも取り外された。破けた幌が丸見えだ。
ところでこの図体なのでタイヤを外そうとしても普通のジャッキだと高さが足りない(SUVやトラック用のが必要)なのだが友人宅にはちょうどいいのが無かった。
今回使われたのはなんと部品取り車から発掘された純正(?)ジャッキ。部品取り車君どんだけ気を利かせてくれるの。しかしオイルが漏れているので次回タイヤを戻す時に使ったらもうムリだろうとのこと。その後はアクセサリー化ですね。ありがとう部品取り車。
またラジエーターの水漏れが更に発覚したので、最終的にはラジエーター回りに色々な修理が必要そう。ただ即死するレベルじゃないのとそもそもブレーキをどうにかしないと話にならないので後回し。
2018/07/07 ブレーキ修理
引き上げ時に切断せざるを得なかった為、一番の問題だったフロントブレーキ。ボディとブレーキベースをつなぐ部分をばっさりカットして固着したブレーキごと回るようにしていた。
が、なんと僅か1か月チョイでニコイチによる復活を遂げた。
自分は体調を崩して見に行けてないので友人の撮った写真で。
切断したベース部を部品取り車から、それ以外は基本ベース車のものを組み合わせたそうだ。13尺と10尺でホイールサイズ等が違うのでニコイチできるか自体心配だったがクリア。ブレーキシューも新品に張り替え。ブレーキラインも新たに作られた。しゅごい。
ここまできたら今にも走っちゃいそうというかそんな気がしていたのだが…
なんとフロントブレーキの方は大丈夫だったブレーキ内部のシリンダー(ホイールシリンダー)がリアの左右合計4基全滅。むしろ25年間の放置でフロントが生きていたのが奇跡か。実は大ボスはリアブレーキだったというオチ。
さあ困ったぞ、1個見つけりゃいい部品じゃないぞ。4つだぞ?頼みの部品取り車は…なんと年式差なのかホイールシリンダーの形状が違う。まあ同じだったところで生きているとは思えないのだが…。
今度こそ今度こそ長い戦い(部品捜索)がはじまりそう。
2018/07~08 現状と僅かな前進
今年の夏はそもそも暑すぎる。外はもちろん整備工場等でも熱中症がコワイ。というか友人も倒れた。ほんと今年の夏はヤバイ。
何故かスバル360がやってきている。
こちらはブレーキはきくがクランクシャフトに不調をかかえていてなかなかエンジンがかからない。エンジンはかかるが止まる気のないT2000とは逆である。
しかしこの日は調子よくゲストを乗せて敷地内爆走。
T2000も対抗するべくエンジンをかけようとしたが、お盆期間中かけていなかった&元々アイドリングだと発電が殆どされないダイナモなのでセルを回すには電力不足。
痛車ジャンプスタート芸をキメる羽目になる。ジャンプスタートしたら即始動するあたりエンジンの状態は素晴らしい。スバル360が非純正マフラーというのもあるが、2ストローク空冷360ccエンジンからバイクのような爆音を響かせる360に対して4ストローク水冷ガソリン車のT2000は意外とおとなしい。まあ2台を比べた後現代の車エンジンかけたらかかってるのか心配になる音なんですが。
後から写真を見て気づいたのだが、スバル360もT2000も周囲に居る人乗っている人全員笑顔。恐るべし旧車。
さてリアブレーキのホイールシリンダー、ヤフオクでほぼ同型(クラフト用らしい)と思われるデッドストック品が1個あったので確保。
見た感じはほぼ同じだ。
それと並行して元々ついていたブレーキシリンダーの分解も試みられていたのだが、とにかく長期間の湿気でやられていたのか見事に固まっているらしい。
しかしなんと300kg(!)の力をかけてやっと1本分解に成功。普通は100kg程度で外れるらしいのだが。ありがてぇありがてぇ。
というわけでデッドストックの1本とあわせて2本目だ。
この調子で後2本復活できるのが理想だが、状態は更に悪いらしいのでどうなることか。
おまけ
マ ツ ダ ス ピ ー ド
2018/09~10 相変わらずでないホイールシリンダー
ぶっちゃけあまり手をつけられていません。自分も友人も多忙だったのもあるんだけど…
アテンザとミラが同時故障とかいう壮大なギャグをかましてくれたせいでお金吹っ飛びまして(なおってよかった)。
ホイールシリンダーはやはり残り2本は修復できる可能性はほぼなさそう。破壊前提で力をかけて壊れなかった部分を残すとかそういうレベルの話になるかもしれない。となるとやっぱりシリンダーを入手しなきゃいけないのだが出ないものは出ない。四方八方手を尽くしているが出ない。
品番
0604-26-610
0604-26-710
は使用可能確認済みというか↑で1個入手しているのがソレ。
その他に
0559-26-610
0559-26-610F
0559-26-710
0559-26-710A
0559-26-860
0559-26-960
あたりがほぼ同じものに見えるが結局どれもみあたらない。ほぼ同型の片出し型なら結構あるんだけが…中国のメーカーのカタログには乗っているんだけど。
一方とっぷりんさんに紹介していただいた方にワンオフをお願いしていた水タンクが出来上がり。
ピッカピカの上に純正に近い形状にしてもらってしまった。ボロボロの現物からキッチリ同機能品作ってくれるとか本当に職人さんしゅごい。
これを早くつけたいけどいかんせん足回り外した状態なので…
ちなみにこの水タンク、タイミングの関係でロードスター→カリーナのリレーで何故か大洗を経由して届けられました。いつか三輪自体で大洗イキタイネー。
2018/11~12 進捗だめです
アテンザとミラがもう一度ダブル入庫とかいう素晴らしいギャグをかましてお金がもう一回吹っ飛んだ上にコミケ原稿等が重なって見に行く事すらなかなかできないという有様。
ホイールシリンダーは部品取り車の方が(サビサビだけど)望みがありそうということでそちらの修理ができないか工場に預けている状態。
12月、久々に見に行く日を作ったら生憎の雨。以前の雨の日や洗車時もそうだったが、サイドステップにすごく水が溜まりやすい構造。そしてドア下の袋になってるあたりも水抜き穴が小さくゴミが少しでもつまると水が溜まる。
部品取り車のドア下部とステップが完全に錆で無くなっていた理由がよくわかる。
ステップに黄色い塗料がこれでもかと塗られている理由は最初ステップを判りやすくするためかと思っていたが、恐らく錆止めの意味が強いのだろう。その他錆びやすい部分も黄色い塗料が塗られているので、恐らくT2000の錆びやすいポイントを知っている人が塗ったのではないだろうか(元のオーナーさんも2台持っていたらしいので1台目の経験からオーナーさんによる施工の可能性も充分ある)。とにかくしっかりともっていることに感謝。
恐らくこの調子だと来れる日が少なく現地作業は難しいので、既に外されている部品のいくつかをアテンザに積み込んでこちらの家で(場所はないが)やったほうがよさそうと積み込み。
家に持ち帰ったルーフキャリアを分解して2018年は終了。間もなく平成も終わるが果たしてこの三輪トラックは平成の世界を走れるのか、それとも平成をスキップすることになるのか。たぶん後者なきがする!!
1月1日にまずは木部処理しました。
2019/01~10 進むどころか下がったり。
いやーいきなり静かになって飽きちゃった?そんなこと無いです。必死でした。
プライベートな話題になるので書けなかったのですが、置かせてもらっている土地が使えなくなってしまい立ち退きする事に。
しかしその情報がなかなかこちらまで伝わってこなくて(というか連絡がとれない)状況を正しく認識した時にはデットライン寸前。気を使ってあまり踏み込まないようにしていたのが仇となってしまった。しかもそのドタバタで部品は一部紛失するわ、なんかいつのまに思いっきりぶつけられててキャビンの右に大きなヘコミができてるわ。当て逃げですよ当て逃げ。Boo
それに文句を言ってるヒマもない。ブレーキが利かず実質自走不能な三輪車を即座にどっかもってけってそりゃ無理な話で本気で手放すのも考えたレベルですが…なんとか本当になんとか引き上げ時と同じように色んな人の協力で本当になんとかお引越し。冗談抜きに夜も眠れない日々でした。
https://twitter.com/cvbhyuga/status/1140083237659660288 ←動画
お引越しの最中積載車に載せるためにちょっとだけ自走。ただ物理的にブレーキが無い状態なので走行は危険。この後はまた手押しに。手つけられない間に錆進んじゃったし、ぶつけられちゃったしキャビンは最終的に全塗装ですかねえ。
1年間お世話になった敷地から結局また積車で脱出。
という訳で2019年前半は進むどころか後退部分が多く…いやほんと、置き場確保できただけでも本当によかった…
そして移動してしまった以上大がかりな修理がやりにくく友人の協力も得にくいので、まあやれることを少しずつですかねぇ。いや、夏は暑くて体壊しててなーんもできませんでしたが。とりあえず穴のあいた幌が気になったので製作依頼。フルオープン。
この状態で台風のりこえるハメになった(無事乗り越えた)のでカバーかぶってます。
2019/11 オルタネーターをつけよう
10月まで冷房つけていたきがするのに11月には暖房つけている。秋なんてなかった。自分は暑さに弱いが寒さにはまあまあ耐性があるのでこの時期に動かないと一生何もできない。何かやらねば。
※記事分離しました
2019/11~2020/05 備忘録
なかなか記事自体を更新できてないのでざっと。後日書く…というかこの記事自体アホみたいに長くなっちゃってるんで適宜使った別の持ち物とかに分離したほうがいいですね。
2019/11
新品幌装着
お手製シートカバー装着
2019/12 クリア吹き
2020/01 ヘッドライト交換
2020/04 冷却水タンク交換
2020/GW
荷台面・ロードレスト・バッテリー周辺等サビ取り塗装
オイル・オイルフィルター・プラグコード交換
泥除け作成
ロードレストキャリア再装着
クラッチレリーズシリンダー流用交換
2020/6~2021/6 世間は大変ぼくはだるだる
先にオチを書いておくとこの期間進捗ほぼなし。錆止め掃除保守始動とかした程度。まあ一時期は置き場所すらやばかったんだからカタチ残ってるだけ褒めて(オイ)。
多忙と体調不良だったのでなかなか手が回りませんでした。しかも2021年の3月には腰やらかしてまともに作業できなくなる始末。
目に見える変化点といえばワイパーブレードが新品ついたのと、ホイールに錆止め塗料で応急措置したくらい(このせいでぱっと見は現役っぽい度アップ)。
またブレーキの部品に関しては一歩進んだので2021年の秋くらいには作業リブートできるといいなあ~決してあきらめてはいないぞ。
犬のせてあそんでるぞ。
ワイパー変換を試す↓
2021/7 小ネタ:水温計が動かない
サルベージした段階から動かないのかすらわからないがとにかく水温計が動かない。使えないと保守始動も心臓に悪いが、水冷系はとりあえず修理済みだしですぐに治せるものじゃないんだろうと後回しにしていた。
しかしそもそも電源が入ろうが入るまいがHに振り切ってるので電気が来ていない…接触不良?断線?
そんなある日サルベージしてきた直後の写真を見て深夜に懐かしんでいると…エンジンルームに見覚えの無い線が1本。明らかにサーモの辺りに伸びるソレ。間違いない。この配線だ。
翌朝、仕事に行く前にちょっとだけ時間をとってのぞき込むと案の定外れた配線がぶらさがっていた。それをムギュっと挿してバッテリーキルスイッチ戻してキーを回すと…ゆっくりと水温計がCへ動き出した。ハイ、片手で1分弱の作業で治りました。作何やってるの下小川君。
更に衝撃の事実。引っ越した直後の写真では配線はちゃんと繋がっていた。つまり正真正銘自分が引っこ抜いている。再発防止の為にもなんでこうなったか整理してみよう。
●預け先から急遽引っ越した来た段階でベルトが切れかけだった為即ベルトを取り外したが恐らくその時引っ掛けそうだったので水温計配線を引っこ抜いた。
●ベルトを外した段階で急遽ダイナモ交換も決めてオルタ調達したので外した状態で2週間以上経ったので水温計配線を外した事を忘れた
●ダイナモ→オルタ交換時に電源配線は新しく通し、ダイナモ用配線は再利用せず束ねたが水温計配線がよりによってそれと同じ経路。不要になった配線の1つと勘違いしてダイナモ配線と一緒に束ねた。
●それらが終わってから引き取ってから初のエンジン始動だったので水温計は何らかの原因で動かなくなっていて、水冷系オーバーホールでも治らなかったものと勘違いして自分ですぐに治せるようなものではないと思い込んだ。
いやーだめですね、ダメダメです。超初歩的戻し忘れで1年半ですよ。こんなんでどうにかできるんですかね?
自分以外の人が引き取ってればとっくに路上を走り回ってたんじゃないかとごめんなさいしつつ、T2000には悪いがもうしばらく付き合ってもらおう。
その流れでウォッシャーユニット丸ごと無くなってる事に気付いたので↓に続く。
2021年冬~2022年春(ざっくり版)
ちまちまやっているがなかなか書く時間がとれていない。とりあえずざっくり。
ハブガスケット交換…というか作り直しでデフオイルが漏れなくなったので、ミッションとデフのオイルを交換…したかったがデフオイルはドレンが固着で開かなかったので補充のみ。
とはいえ漏れた分を補充できたのでやっと安心してギアを回せるようになった。
またサイドブレーキが一応生きていることが判明した(固着はずれた?)ので(安全の為車止め必須だが)、若干の位置移動等ならできるようになって2021年ターン終了。
年開けた後はウインカー不調の手直し&アース配線入れ替え。
そしたら電装系の色々ヤバそうなの(配線が抜けてたりネジ止めしてあるだけだったり)を見つけてしまう。主要部分をメインに配線の引き直しを少しづつ進めてヒューズボックスも汎用新品に入れ替え&ヒューズボックスと電源系統追加。
まだ途中なので配線整理ができていないが、エンジンを動かすのに必須な部分を中心に新品配線へ&あまりにヒューズ共用の電装品が多いので系統分離。これでいくつかの電装品が復活。
GWは元々荷物を積んでキズが多くサビていたアオリ内側を塗装。暑くなるのと蚊がでるので恐らくまた秋冬まで大がかりな作業はしないはず。それまでにここもう少し細かくかけるといいね(かけなかったよ)。
2022年末~2023年正月 復活?のブレーキ
ブレーキが!使えるようになりました!
持ってきてから4年半、引き上げ前の車検切れから数えると29年ぶりにブレーキがブレーキしました。やっと「不動車」から、たぶん敷地内移動ならできる「検無し車」にランクアップです。
まあこれ書いている時点で組んだ直後で漏れとかないか様子見してる段階なので完治ではない(絶対どっかから漏れるだろ)程度なんですが、まったくブレーキバラバラ状態からはでかい進歩です。
4年前から書いている通り最大の問題はリアホイールシリンダーで、それは工場の職人さんの手により2021年に残った2本も修理が終わり合計4個が揃った状態だった。しかしその段階で(引っ越し時に情報共有できていなかったのがでかいのだが)ホイールシンダーの上についた金具…調整歯車をロックするための金具が不足しているのと、ブレーキライン4本のうち1本が取外し時に破損して無くなっている事が判明。
金具は幸いパンヤ時代の友人が残ったものをベースに複製してくれた。ありがてぇありがてぇ。
ブレーキラインは同じ形状のブレーキラインがまだ反対側に残っていたのでそれを取り外して工場にそれと同じ形状のを依頼して…という流れになるがそのブレーキラインを外すのにも手間取り(無理に外して壊したら更に厄介)、なんとか外せたのが2022年頭。
しかし以前お世話になっていた工場は遠いのでなかなか行くタイミングが無かったところ、これまた偶然の縁でちょー近い人に作成できる工場を探してもらい丸投げさせてもらえることに。そこからは早くくたびれていた残り3本を含め4本を作成。
更に錆びてて再利用をあまりしたくないホイールシリンダー固定用ボルトをネット通販で買えないか探す。インチなのでホームセンターとかで売ってないんだコイツ。幸い微妙に長いが使えそうなボルトを発見。
お正月休みならやれるだろうとギリギリ年内に作ってもらってしまったので正月休みにチャレンジすることに。
尚当然T2000のブレーキ組付けマニュアルなんて持ってないし動画の類もないので、構造や見た目が近い三菱ジープのブレーキ組立動画や記事を見て、ごく基本的な手順、グリス塗りつけ箇所を確認したり、工具を揃えておいた。
12月30日…左側のブレーキ組開始。
というよりタイヤ外すの久々なのでブレーキパネルの清掃と錆止めをから始めるレベル。
あとご覧の通り下が未舗装なのでジャッキアップには細心の注意が必要。鉄板用意しているとはいえ、万が一メインのウマがコケたら大変なのでコンクリートブロックで第二段階のウマを何か所か用意する。幸いお世話にならなかったが、あまり長い時間やりたくはない。
ホイールシリンダー装着までいったがブレーキシューを固定するバネが硬くて用意した工具では無理。怪我しそう。
更に金具1個破損発見し断念しAmazonで工具と使えそうな金具ポチった後にドラムについたねじ切れたボルト外し、後でつける予定だった(前日に受け取ったばかりの)新品ブレーキライン繋いで終了。
購入したインチボルトは使えたが、安いものではなく使えなかった時のダメージがでかい(インチボルトなんて他で使わん)のでサビが酷い分の本数しか買ってなかった。新旧混在。
ウマの状態で放置したくないので一旦タイヤを戻し終了。工具も無いし31日は別の用事を片づける方向にした。
1月1日…正月朝からAmazonが工具と金具届けてくれたので親戚が来る前に物凄い勢いでジャッキアップ→左ブレーキのバネの接続からのドラム装着。
左側組立完了したものの元旦に手が真っ黒で顰蹙を買う。
1月2日…残った右側を組もうとするが左側がすんなりはずれたねじ切れたボルト(なんで両側ねじ切ってるんだ俺じゃないぞ)が外れず左側1日目と同じような感じで、ラインの接続等それ以外を一通りやることに。実はフロントも未接続でフタをしている状態だったので初接続だ。
残った休みがシビアだったのとラインは全て繋がっていたのでフルード投入し組み付けが終わっている左リアをエア抜き。その夜にねじ切れボルトと格闘するも断念。
1月3日…ボルト破壊方向に切り替えて翌3日朝から電動ドリルで近所迷惑して右リアも組み立ては完了。軽くエア抜きまで行くがなんか手ごたえが無い。3日は別の用事もあったし疲労MAXだし、タイヤを付けてウマから降ろし安全な状態にすることに専念し、正月休みここで完。
1月8日…短い正月休みと土曜出勤に悪態をつきながら4連勤をこなしやっと正月休み明け最初の休み。できればここでキリ良くしたい。
残った右リアとフロントをエア抜きするがなんかスカスカ。締め付けが甘くて漏れていたラインを再度組み直してエア抜きするが症状変わらず。
さっぱりわからん、組み付け悪いんか。そもそも微妙な漏れだけでスカスカするとは思えない。症状的にはエア噛みなんだが。しかもテスト中にプラグかぶりやらかした。テンションダダ下がり。
元々交換予定でプラグは用意していたのでそちらはすぐ復帰。
翌日予定いれてたので失意の中年末から工具置き場にされていたアテンザを片付けだす。片付け中ハイドロマスターのブリーダー(エア抜き穴)発見というか完全に忘れてた。
ここのエア抜きが最後のキーだった。エアとキタナイフルードが出てきた。そしてブレーキペダルの感触が変わりブレーキライトが点灯する。これオイルプレッシャーランプみたいに油圧で直接スイッチが入るタイプなので点灯するということは圧力がかかったということ。むしろお前スイッチ生きてたんか。
そして恐る恐るエンジンをかけて保険の車止めを置きつつブレーキテスト。止まった。4年越しに止まった(冒頭の動画)。本当だよな?ブレーキで止まったよな?
正直実感がわかない。今この車どこが壊れてるんですかって聞かれたら反射的にブレーキって答えると思うレベル。それに今回圧力がかかるようになって新たな漏れとか問題が出てくる箇所もあるかもしれない。
とはいえ、リアのブレーキの殆どの部品を外した状態で、ラインはフタしているとはいえペダルを踏むとフルードがだばぁと出るだけの機械になっていたのに比べれば安心感がだいぶ違う。
他にも色々諸問題あるので公道走れるようになるのはまーた随分先なのだけど、やっと進捗らしい進捗をここにかけてよかった…本当によかった…
あと一人でよくブレーキ組んだわ…がんばったわ…
そこにいるだけでもまんぞく
引き上げてきて4年経ってまだ路上復帰は見えないけど、子供の頃憧れた、それでいて幻のような存在が毎日見れるって素敵な事。
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購入金額
0円
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購入日
2018年05月頃
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購入場所
みっちゃんさん
2018/06/03
すごいですね・ω・
これはまさに、dream come trueですよ!
harmankardonさん
2018/06/03
これは,銀座を走る姿も遠くなさそうです.
みんなで頑張ってください.
下小川さん
2018/06/03
エンジンに関しては現役時代かなり大切にされていたのが伺えてガソリンも入った状態だったのでちょっと期待はしていたんですがそれにしたってこうもあっさりとは…
mickeyさん
2018/06/03
夢が叶うとは良いですね。
エンジンも始動するとは驚きました。
レストア、頑張ってください。
下小川さん
2018/06/03
退会したユーザーさん
2018/06/03
ウルトラレアすぎる
さらに、状態も良好!
しかも、三輪ってのがまたマニアックでたまらない!
タコシーさん
2018/06/03
この車は丸ハンドルですね 私の夢だったか?
でも今までよく残っていましたね すごいですわ...
下小川さん
2018/06/04
この車は丸ハンドルですが、それより前の世代になるとバーハンドルのものが主流で、本当に構造的にフロントはバイクに近かったようなので、おそらくその時代の車両ですね!
有名な軽三輪のミゼットも初期型はバーハンドルでその後丸ハンドルにモデルチェンジしているようです。
まこりんさん
2018/06/04
続編がぜひ読みたいです。
下小川さん
2018/06/04
現在置いてある場所が遠いので週末に時間作っていく感じなのでゆっくりとー
hatahataさん
2018/06/04
ホーリーさん
2018/06/04
下小川さん
2018/06/04
末期の丸ハンドル型はけーこれ含め残る場所には残ってるらしいんですが、バイクタイプのものは今となっては博物館クラスなんでしょうね...
Takahiroさん
2018/06/04
下小川さん
2018/06/05
ちばとどさん
2018/06/06
さらに以前、昭和40年代には、わたしがいた地方(=マツダ城下の広島県府中町)では、バキュームカーにも使われていて、水色でした。
元気に走るようすを見せてくださいね。楽しみにしています。
下小川さん
2018/06/06
バキュームカーも小回りを生かして走り回ってたんですね~今となってはバキュームカー自体が珍しいか。
はしらせなくては!
Yujiさん
2018/06/06
続報楽しみにしています。
1990年くらいまで両国近辺の蔵前橋通りや割下水(現北斎通り)でオート三輪が走っている姿をたまに見かけてました。
子供の頃だったので、メーカーや車種は気にしていなかったのですが、三輪だったのは間違いありません。
まわりの大人たちも懐かしいみたいなことを言ってた記憶があります。
下小川さん
2018/06/06
自分も幼稚園の頃一番最初に見た車両は未だに車種不明なんですが(小学生の頃みたのはキャリアや大きなヘッドライトを覚えているのでT2000)、オート三輪ってクラシックカーの中でも特に「タイヤが1個無い」っていう誰でもわかる特徴があるからインパクト大きいんですよね~
Takahiroさん
2018/07/09
部品関連ならここに問い合わせるのが一番早そうな気がしますが、もう既にされていますよね・・・。
http://www.mazda.com/ja/about/museum/
下小川さん
2018/07/09
ブレーキは車検はもちろん自他の命に関わるんでいろいろ考えないと。
オート三輪の部品も平成1桁年あたりまでならメーカーで出たらしいんですけどねえ。
くーねるさん
2018/09/14
番号が大きくなるにつれてボディーの長さ(荷台
)が大きくなるんですね。…うん、でかい
下小川さん
2018/09/14
数字は単純に排気量なので実はT2000にも全長4.3mのショートモデル(T1500と殆ど同じ姿)や5m程の中間モデル(部品取り車がそれ)が存在しています。
ただオート三輪末期に重宝されたのがこのでっけえロング車なので残っている個体の大半がこのサイズかと思われます