陳腐な表現しか出来なくて情けないのですが、ここに書かれている樋口氏の人生は映画化してもいいのではないかと。
大手商社で35歳までの11年間、“地頭の力を生かし”活躍していたものの、ギャンブルを生業にしようと退社し海外へ。
南仏ニースのカジノで1,000万円ほど稼ぎ、ドーヴィルの従姉宅で静養。
別荘を買うよう勧められたものの、身内の訃報の連絡が入り帰国。
すぐ戻るつもりが、悪友のトラブルで関西へ。
字牌抜きの麻雀などでシノギを削るものの、失神で二度にわたり救急車で病院に運ばれる。
既に40歳を過ぎていた。
大阪の羽曳野市の旧友の元で書店の手伝いを半年ほど。
木造アパート4畳半で真夜中に小説を書く。
2ヵ月で250枚。しかし、あまりの稚拙さに辟易。
その後、大阪の百科事典を販売する会社に就職。
殺伐とした組織の中で、地方の小都市や田舎町を回り、苦渋をなめつつなんとか自分なりの戦略を構築し、なんとか大阪の天神橋筋にアパートを借りる。
以前書いた250枚の小説を推敲し、80枚にまとめて大手出版社の懸賞小説に応募。
そして退社。
応募した小説が1988年の第36回小説現代新人賞を受賞。
東京に戻る。このとき43歳。
物書きとして再出発…
この壮絶な人生の記述に、当時高校生だった自分はかなり衝撃を受けました。
※樋口氏は、2001年10月4日に亡くなられたようです。
-
購入金額
540円
-
購入日
1998年03月頃
-
購入場所
SYNDIさん
2008/01/13
壮絶にしか生きられない人っているんでしょうね。
どうしてもそっちに行く人っていうのが。
昔、無頼な小説家たちのイメージが強かったせいか、「小説なんか書いていると、自殺したり、早死にしたりするから、やめなさい」と親から反対された、と言っていた人がいました。
あたしたちは、「そうじゃないよねー。死にがちな人が書いたりはするけど、書いたから死ぬんじゃないよねー。むしろ書かないほうがもっと早く死ぬよ。がはははは」などといいつつ、その人と宴会していたです。
その宴会は喫茶店でみんなでいっせーのせーで2、3時間何か書いてからのち、それを読みあいながら酒をのむ、というかなり厳しい宴会でした。
その中の何人かはプロになったと思います。
どの人もあたしより壮絶でしたです。
カレーを箸で食ってるかもしれない男さん
2008/01/13
しかし、、、あまりの壮絶さに終わった後はヘトヘトになるのでしょうね・・・