所持する音楽データに対する私利私欲...イヤ私情私見あふれるコメント、音楽の杜。こういった分野のものは「好み」ですし、優劣を付けるのもそぐわない気がしますので、満足度の☆はあくまで私的な思い入れです。購入時は気に入って/気になって購入しても、時が経つと聴かなくなる音楽作品というのは誰しもあると思います。そのアーティストが嫌いになったわけでもないし、その作品に入っていた曲に悪い印象が紐づけられているわけでもない。むしろ、あまり印象に残っていないという作品がそうなりがちでしょうか。そんな一度は「仕舞い込んだ」作品を久しぶりに聴いて、当時の印象よりもむしろ「響いた」作品をご紹介します。
村松健。ピアノと奄美三線を中心にプレイするマルチプレイヤー。彼の「ジャンル」は時代によってかなり異なり、接した時代によって印象が大きく異なるかも知れない。最初期は「フュージョンブーム」の範疇でデビューしたこともあり、加工が多い音色でバンド形式の曲が多かった。その後過度な加工をやめ、「和」の旋律を感じる作品になって来る。その過程で徐々にバンド形式⇒多少のゲストプレイヤーを加えただけの作風⇒リズムマシンなどを使いながらベースやパーカッションを自分でプレイした多重録音⇒ピアノ独奏へと個人プレイが中心になっていく。これに伴い作風もニューエイジ/ヒーリングと言った分野に。その後奄美大島に移住し、奄美三線も弾きこなすようになって、エスニックな方向性に行く。現在はこれらジャズ~フュージョン~ニューエイジ系のフィールドを行き来しつつ現役で活動中。
この「ひかりの春」は17作目のアルバムで、1996年の作品。すでに20年以上前の作品で、この作品の中には彼の「代表作」というほどなじみがある曲もなく、従前と路線の変更もない作品だったので、あまり印象に残っていなかったが、聴き直してみると、彼のこの路線の「極み」に近いところにあり、結構よかった。
「春一番ふいて」は、全編ガッツリ村松のスキャットが入っていて、スネアのスナッピーが緩い感じの独特な音にチューニングしたリズムマシンと村松自身のプレイによるベースに乗ったピアノが心地よい。所々に挟まれるパーカッシヴなオルガノ装飾がポイント。結構最初期のフュージョンテイストが強いが、彼独特の「和のテイスト」も十分ある。
「夢虫に逢いたくて」は即興ぽいプレイを大切にしたジャジィな逸品。左手のリズミカルな分散和音が全編をリードする中、所々村松のヴォイスも入りプレイされるミディアムテンポの曲(ヴォイスはスキャットのように明確な「メロディ」ではなく、ジャズピアニストが自分のソロパートで弾こうとするフレーズをつい口ずさむ感じの「声」)。途中の「ソロ部分」はかなりテンションコードを使った攻めた旋律で、比較的ホノボノとしたテーマとの対比が面白い(ピアノの独奏なので「アドリブ部分」が正しいのかも知れないが、多少のミスタッチより流れを大切にしたこの曲、全編通してアドリブ性が高いので表現が難しい)。
「懐かしさ」を強く感じる曲が「誰にだって春は来るから」。淡々とした打ち込みのリズムに乗せて、ジャジィに装飾多めのプレイ。ただ特にサビの旋律そのものは、ちょっと「トトロ」っぽい節回しもあって、和と洋の融合という感じ。村松の良いところが出ている...というかこのアタリのテイストが一番好き。
全体通すと一番「村松らしい」、無機質な打ち込みリズムに乗せて、和を感じさせるメロディとジャズテイストを強く感じるアドリブという曲が多い。また、一人多重録音によって自分の音世界を伝える形式のため、どの曲も気配りが行き届いている。
「ひかりの春」という事なのかオレンジ系を中心に緑をアクセントに使った印象的なジャケット
「代表曲」とまで言えるものが収められていないため、自分の記憶からも少し抜け落ちていたような形だが、聴き直すととても良い。ほぼ20年ぶりに聴いた作品は、そんな光あふれる春を感じるものでした。
【収録曲】
1. ひかりの春
2. 春一番ふいて
3. 夢虫に逢いたくて
4. 僕の心の田植え唄~エドヒガン揺れる日に
5. あんずの樹の下で
6. 誰にだって春は来るから
7. ラヴ・ユアセルフ~気高さと無邪気さと
8. 三月がくるたびに
あとあとまで弾き継がれた曲は少ないが...
このアルバムの曲の中で、今でもよく演奏されているのは「夢虫に逢いたくて」くらいかもしれないが、「新味」には乏しいものの、どの曲も「こなれて」完成度は高い。デビュー後しばらくして取り組み始めたこの路線(マルチプレイによる一人多重録音/打ち込みリズムに乗った和の旋律+ジャズテイスト)の到達点に近い位置にいるともいえる。
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購入金額
3,000円
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購入日
1998年頃
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購入場所
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