ただいまZIGSOWさんでは
第5回目の特集「今週のコレクション」6枠に採用されるとAmazonギフト券2000円プレゼント企画
募集されているカテゴリーは、「自動車・バイク」
ZIGSOWラウンジに掲載されるには
自動車本体、バイク本体、パーツ、ETC、カーナビゲーション、カーオーディオ、アクセサリー、メンテナンスグッズ、工具など 自動車・バイクカテゴリーに登録されている商品を選ぶことが肝要
現車は手元にありませんが、私の最初の愛車アコードHBの次の車のことを書かせてください
登録物は 愛車の写真 でお願いします
4輪メーカーとしては弱小だが 2輪メーカーとしては世界最大 そのホンダに政府が依頼したこととは?
1978年に新規ディーラー網「ホンダベルノ」のシンボルとしての役割も担いながら登場した
ホンダのパーソナルカーです
既に発売されていた2代目シビックのストレッチクーペに過ぎないとか
所詮SOHC1800ccで100馬力にも満たないとか
FWDではスポーツカーは造れないとか 言われた車でした
事実 国内の販売成績はお世辞にも良いとは呼べないものだったようです。
しかし海外での評判はとても良かったらしく その名前は デートカーとして一斉を風靡した
2代目に引き継がれることになります。
全長4090ミリ 全幅1635ミリ 全高1290ミリ 当時としては広くて低い車体です
前1400ミリ 後1410ミリ のワイドトレッドと2320ミリのショートホイールベース
このディメンションでは、本来FWD車が持っているはずの 広い居住空間や乗降性の良さは
期待できません
事実、後席はプラス2と呼ぶべきもので、法定乗員数も4人でした
しかし初代プレリュードには、電動ガラスサンルーフとポテンザという装備がありました
今では当たり前のサンルーフ、ハイグリップタイヤですが トヨタやニッサンを差し置いて
当局は このホンダプレリュードに日本で最初の装備を許可したんです
何故か?
事の真偽を確かめるために 改めてウェブを検証したのですが 私の記憶を裏打ちする情報に当たることはありませんでしたので、話半分で読み飛ばしてくださいね
でも自分が乗っていた車に関する情報なので、何度も人に話したことなんで ホントだと思います
日本の自動車会社としてホンダは初めて米国で現地生産を行いました
時は1982年11月 アコードがラインオフ
その歴史をドラマ化した作品も見た覚えがあります
メーカー名も車名も架空のものになっていたので おそらくNHKのドラマだと思うんですが
ウェブ上に、その痕跡は見つかりませんでした
時の総理は鈴木善幸から中曽根康弘に以降するころ
私が覚えている大まかなストーリーはこうです
米国から日本車の輸出量への懸念を受けて、日本メーカーの現地生産が政府主導で進んだ
しかしトヨタやニッサンにリスクを負わせることはできない
そこで白羽の矢が立ったのがホンダだった
ホンダなら潰れても大丈夫
ホンダは既に米国市場で受け入れられているから などが理由だったはずです。
そして
オハイオ工場でのホンダの成功
ご褒美として
発売から2年が経過するホンダプレリュードに
日本初のガラスサンルーフとハイグリップタイヤポテンザの純正装着が許された
操る楽しみ
同時期に販売されていたシビックと共通のコンセプトでデザインされたインストルメントパネル
ターゲットメーターと呼ばれたそれは
外側に速度計の針 内側に回転系の針を同心円状に配置する構造です
写真では分かりづらいですが、メータナセル左側に突き出た突起はオーディオの集中コントロール
燃料計と水温計は左側に独立配置 ターゲットメーター中央の台形パネルと左側のパネルには
警告灯やメインテナンスタイミングを告げるグラフィックがありました
デザイナーの脳内にあったデジタルパネルをアナログ計器でリデザインしたのだと思います
エアコン操作は未だレバー式
時計はデジタル表示
メーター照度はダイヤルで調節できましたが、照度を絞るとFMにノイズが乗るというお粗末な一面も
標準装備のカセットデッキは アルパインに名前を変える前のアルプス電気社製だったと覚えてます
77ミリX94ミリ ロングストローク直列4気筒エンジンはCVCCヘッドを持つOHC型
1750ccから90馬力/5300rpm 13.5キロ/3000rpm という出力ですが
900キロの軽量ボディ 100キロ時3000rpm強のローギアード5MTとの組み合わせですので
時速100キロ以下の領域では十分な加速感を得ることが可能でした
懸架方式はホンダお得意の4輪ストラット式独立懸架
前後にスタビライザーが奢られています
前ディスク 後L&Tドラム
純正アルミホイール13インチに175/70HRのポテンザ
びっくりした!
同クラスの小型車の中では 遊びの少ないクイックなハンドリング特性を持っていたアコードからの乗り換えだったので、少し車高が低いこと 少しボンネットが長いことだけ気をつければ大丈夫だろ
軽く考えつつエンジンを掛けます
聞き慣れた高い金属音を伴うセルモネータの音
静かなアイドリング アコードより短めのシフトレバーを1速に入れてクラッチミート
ディーラーから出る時、左右に気をつけながら歩道を跨いで片側2車線の道を進みます
あれ? なんだかぜんぜん違う まっすぐ走らない ど〜ゆ〜こと?
友人が持っていたKP61型スターレットも、よく似たセッティングだったと覚えてますが
2輪車で例えると、アコードやシビックはCB
プレリュードやスターレットはトライアルバイクのようなセッティングだったんだと思います
トレール角が立っているので、切り込んだステアリングは自分で戻す必要があるんです
一般的にFWD車はセルフアライニングトルクが強めに出るので、ステアリングを切った後
強めにスロットルを開けると、一気に直進位置まで戻ろうとするものなんです
(少なくともノンパワーステアリング車の場合、グワッと強めに戻ります)
でも、プレリュードは、ステアリングから手を離しても、そのままの舵角を維持しようとするんです
また直進状態からの反応もアコードより数段クイックなセッティングでした
ホンダのFWD車は、ステアリングの遊びがほぼゼロなので、クイックな反応には慣れていたはずなのにプレリュードのそれは次元が違いました
まっすぐ走らない そう感じたのも、クイックな反応故の第一印象
数十年後に乗ることになるBMWもそうでしたが、ドライバーが入力を与えない限りは
当たり前に直進します 入力に対しては忠実に反応します
ただ、その反応に慣れていない私が「まっすぐ走らない」と早合点していたことがわかります
実用車シビックをベースとした4人乗りのクーペとして極限まで低められた車高とヒップポジション
短めのホイールベース 広めのトレッド そこに超ハイグリップタイヤ ポテンザRE47
慣れてくると 驚くほど曲がり 驚くほど止まります
1速まで落としてからアプローチするヘアピンカーブでは、重たいステアリングの切り込み角度に合わせてグイグイとインに寄り、エイペックスを過ぎたことを見計らってからアクセルを踏むと
90馬力をフルに使っての脱出姿勢を取ることが可能でした
但し勾配を伴うヘアピンカーブの場合は、しばしばインリフトが発生します
ノンスリップデフは未装備ですので、セナ足を真似て小刻みにスロットルペダルを戻して対応してました
標準の4本スポーク38センチのウレタンステアリングホイールは、
36センチのナルディクラシックレザーに換装してましたが、切り込む時も 戻す時も しっかりと保持する必要があるので 「内掛けハンドル」は禁物です
フローティングシングルキャリパーのフロントディスクブレーキは、下りのワインディングロードでは、ディスク面とパッドの隙間が広がることもあるので、切り返しを行った後は、二度踏みを行う必要がありましたが、車体が900キロと軽量だったので フェードはほとんど経験してません。
しかし標準装備の13インチアルミホイールに流れる熱で、
樹脂製のセンターキャップの爪が折れてしまうことがありました。
シャシー性能というより、サスペンションアライメントというより、
とにかくポテンザRE47の性能に負うところが多いという 印象です
何台かで峠道を走ると、後続車からプレリュードのコーナリング姿勢が見えます
2シーターに近い ホイールベースの真ん中に低く座るポジションなので
自分は「ロールしていない」印象なのですが
傍目からは「イン側のタイヤが浮いている」レベルのロールが見えたそうです
事実低めの車体に取り付けた純正の泥除けは、路面と擦れて刷毛のように変化していきました
時々ザザッと音が聞こえていたのは 泥除けの音だったんです
2速5千回転 3速4千回転でじっくりと旋回する時は、フロントのグリップは失われず
リアが斬新的に流れ出す そんな姿勢を楽しむことができる 珍しいFWD車でした
最初のアコードにも プレリュードの次に買ったインテグラからも得ることが出来なかった
初代プレリュード独特のコーナリングマナーだったと思います
すこし危うい ドライバーに一定のスキルを要求するハンドリングマナーでしたが
900キロ・90馬力という車で楽しむ速度であることも 街乗りスポーツカーとしての
好バランスだったのだな そう考えてました
RE47というタイヤ
ブリジストンのポテンザ ヨコハマのアドバン ダンロップのフォーミュラ
各社当局の解禁を得て市販に踏み切ったハイグリップタイヤ
最初のそれは 極端な性能の持ち主でした
私は約1万キロで3分山にまで摩耗させましたが、ホイールスピンや急ブレーキを繰り返す運転だとわずか3千キロで坊主になってしまった そんな報告もあったようです
溝が減っても コンパウンドでグリップを維持するタイプのタイヤだったので、ウェットグリップ性能も驚くべきものがありました
名神高速道路の雨天時 私は「全然怖くないので」 空いている車線をそれなりの速度で走りました
友人の車は見えなくなります
携帯電話など無い時代ですので、約束のインターチェンジを出たところで待つことにします
まだ雨は強く降っているのですが、フロントタイヤから湯気が上がってたんです
もちろんブレーキからではなくトレッド面から
ボディは濡れているのですが、タイヤは高い熱を持っておりトレッド面は熱く、雨が水蒸気となって立ち上っていたんです
後にも先にも あんな経験は一度だけです 凄いタイヤでした
次のタイヤを専門店に買いに行くと既にRE47は廃番となっており 代わりにRE86を勧められました
しかし それはポテンザとは名ばかりの 全くフツ〜のタイヤでした
それでも価格はポテンザのそれ
お店が勧める製品は顧客のためではなく、お店の為だと学んだことを覚えています
仲間内でタイムトライアルごっこをしていた山岳路があります
このプレリュードで記録していたタイムより うんと良いタイムを出すことができる車に この後 乗ることになるのですが それもこれも やはりこの車で練習していたことが役に立ったんだと
思ってます。
というのは、1トン100馬力という基準。
プレリュードの場合、900キロで90馬力 これだと狭い日本の道でも1速と2速を使い切ることができます。
2速でレッドゾーンまで回しても、90キロに満たないんですから。
さほど強力とは言えないブレーキに13インチタイヤとの組み合わせでも、制動力は十分だと感じてました。
ホンダ製のミッションは、ギア鳴りを伴わず3〜2〜1速へとシフトダウンが可能ですし ペダル配置もヒールアンドトゥに最適なレイアウトでした。
ノンパワーステアリングも、正しいハンドル操作を要求してくれるという意味では教官の代わりになります。
ただ下りのワインディングロードでは、横Gの高まりがCVキャブ内のガソリンの液面を偏らせてしまうことで まれに息継ぎ現象が出てしまいます。
これは当時のキャブレター車に共通する欠点でした。
上りのワインディングロードでは、1速2速とレッドゾーンまで気持ちよく回ります
レブリミッターなどは未装着 そんな時代でしたが、他社のそれよりレッドゾーンでの回り方
振動・音のマナーが良かったと思います
吹けきっている状態を軽々と維持できる 自然にシフトアップが促される そんな印象です
今でも300馬力オーバーの6気筒車より、使い切ることが出来るエンジンを搭載した鼻先の軽い小型車が好みなのは、この辺りで染み付いた感覚が元になっているんだと思います。
見た目はFWD大衆車のストレッチクーペ カタログスペックにも見るべきところは見受けられません
それでも一部の好事家からは高い評価を得てました
この時期 鈴鹿のマーシャルカーにも使われておりました
また不祥事で車趣味を自粛すると発表していた巨人の篠原選手がメルセデスやBMWの代わりにと
選んだのが このプレリュードだったことも覚えてます。
自分のこだわり メーカーのこだわり
メーカーの思い
写真では判別しづらいのですが、ヘッドライトの下にはスリットが設けられております。
それは降雪時に雪が溜り前方視界を妨げないようにと考えてのもの
ボンネットフード上 左右縦方向に備わるエアアウトレットは、放熱のためではなく雨天走行時に
フロントスクリーンに汚れが付かないためのエアフローを考えたものらしいです
私の車のボディ色は濃紺ですが、カタログ写真と同じでオフホワイト色のファブリックシートでした
紺色と白色の組み合わせ 英国の高級車では珍しくないものですが、当時の国産車としては画期的な色使いだと思います
ヘッドレストは前後に角度を変えることが可能 両端が少し尖っており独特の形状です
但し椅子自体の出来栄え、使われていたウレタンの品質は 欧州車に遠く及ばないものでしたが。
リアコンビネーションランプ 横方向に刻まれた凸凹も、降雪時などに汚れを跳ね上げてしまい
それが負圧によってランプを覆い隠してしまうような状況下に置いても最低限の視認性を確保するための工夫です
この辺りはメルセデスの影響を受けているのだと思われます。
HB車ではないのに、リアワイパーが装備されております。
トランクはホンダ車の例にもれず浅めですが、それなりの容量があり、スペアタイヤもアルミホイールが装着されておりました
私が施したモディファイ
純正オプションから フロントにもリアにもバンパーに取り付けるオーバーライダーと呼ばれる
突起物を注文してます
ディーラーでは「鰹節」と呼ばれていた部品ですが実用上なんの役にも立ちません。
重たくなるだけです。
それでもそれを選んだのは、初代シビックのトップモデルであった伝説の「RS」に、それが標準装着されていたから
憧れた、その残像がそうさせたのでしょう。
フェンダーミラーはすぐに撤去して、イタリア製ビタローニ社の小型ミラーに換装してます
ステアリングホイールはナルディクラシックレザーに換装
ヘッドライトはスタンレー社製のシールドビームから、仏CIBIE社製のハロゲンランプに交換
同時にCIBIE社製のリレーキットも取り付けました。
2年ほど経過して、リアマフラーは伊製アンサー社の2本出しに換装
乾いたいい音です シフトダウン時にバックファイヤー音が出るのが楽しくて 燃費には悪い運転を助長してしまう欠点もありました
スパークプラグは、NGKのVプラグを愛用してました
どこを探しても写真が見つからなかったのですが、リアトランク後端に取り付ける小さなウレタン製
スポイラーも付けました FOHAというブランドでしたがCGの広告で見つけたんです
通販で買いました ボンドで貼り付けるタイプで薄くて黒いもの
リアコンビネーションランプの上で固定 トランクリッドの間に隙間ができます。
リア下がりの英国風デザインが 一気にウェッジシェイプの「当時のマセラティ・ギブリ」に近いフォルムに変身しました
街で声をかけられて「どこで手に入れたのか?」 数回ですが尋ねられたこともあります。
もしも古いアルバムの中から 良い写真が見つかれば追記したいと思います
誰が見ても流麗だと感じるフォルムの車より
すこしばかりアグリーだなと感じる車を好きになってしまったら
その車に対する気持ちって 深く深く刻まれてしまうのか?
そんな思いで書きました
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購入金額
0円
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購入日
1980年頃
-
購入場所
ホンダベルノ平安
mickeyさん
2019/12/07
自分は運転したことがないので、
一度運転してみたかったです。
自分が、初めてホンダ車を運転したのは
知人のサイバーCR-X(EF8)でした。
ポテンザは、MR-2でお世話になった
タイヤです(^^)
フェレンギさん
2019/12/07
あの強烈な2段加速はすごかったですよね
E-SNプレリュードはCVCCのシングルキャブなんで あの爆発力はありませんでしたが
ホンダらしい滑らかな回り方を維持したまま ステアリングの手応えを残したまま
楽しくワインディングロードを走ることができました
あの頃のクルマたちは 個性豊かでしたね なつかし〜
aoidiskさん
2019/12/07
いいな~と思った記憶があります。
ホンダ日本初、世界初も意外にあるんですよね。
あの突破力 今の本田にも期待したいです。
フェレンギさん
2019/12/07
走る実験室と呼ばれた時代の名残がまだまだ香っていた そんなホンダです。
空冷にこだわった本田宗一郎さん
工場のラインもエンジンで動かしたかった本田宗一郎さん
飛行機関係以外の副業を固く禁じていた本田宗一郎さん
かれの熱さを維持しつつ、水冷化、CVCC, MM思想、電気化 徐々に変化を遂げているホンダ
挑戦を忘れたホンダは ホンダじゃない
でもカブからホンダジェット エフワンでの復活 期待してしまいます 応援したくなります
頑張れホンダ
mickeyさん
2019/12/07
グラストップで軽量な車でした。
ホンダのエンジンは、バイクのように
高回転まで滑らかに回りますね。
フェレンギさん
2019/12/07
初代CR-Xは かのポール・フレール先生も愛車に選んでいたと記憶してます
出たての1.5iを、友人に強く勧めて 彼のお母さんに恨まれたこともありました
ワンダーシビックもかっこよかった 大好きでした