東芝ルポ・NEC文豪・富士通オアシス等が市場を席巻していた日本語ワードプロセッサ界に、全く新しい製品があったんです。
SONYのプロデュース。
業務用としてだけでなく、ハイエンドアマチュアにも絶大な人気を誇っていたSONY製CRTモニターにプロフィール(PROFEEL・造語です)という製品がありましたが、それに倣ったのかPRODUCEと名付けられました。
時は1989年。
VAIOが発売されたのは1996年。
その間にMacの生産を受け持つこともあったSONYが、パーソナルコンピュータ市場に打って出る前夜のことでした。
2インチフロッピーなど独自路線ながら 来るノートPCを見据えた高性能マシンでした
1メガバイト容量の2インチフロッピーディスク。 割高でした。
水平印字方式を取る別筐体プリンターユニットは、700円の黒色インクリボンカートリッジの他に
赤や金色も選択可能でした。
プリンターにはプリズムを使った印字開始位置確認窓があったので、正確に位置決めが可能。
リボンカートリッジを替えながら繰り返し印字することで、カラーテキストが完成しました。
水平に用紙を差し込む方式なので、プラスティック板や金属板にも印字ができました。
別売りオプションのスキャナーユニットを接続すると、画像加工が可能です。
これはアコースティック・ギターをキャプチャーして、イメージ加工したものです。
奇跡的に残っておりました。
表計算も可能です。
最大512行×横128列(有効セル数約8,000)まで。 関数は58種類が用意されます。
仲間内で楽しんでいた(今も)エフワンの順位当てゲームで大活躍しておりました。
友人が組んだプログラムを走らせて
1〜6位までをのドライバーを的中させると3点。
順位は異なるものの、エントリーしたドライバーが1〜6位までに入賞していたら1点。
全的中で18点。 順位違いで6点。これを名前入力で認識できるプログラムが、きちんと走る性能を持っておりました。
シリーズが終了した時点で、各成績をグラフ化することも簡単に行なえました。
欧文にも対応しており(7ヶ国語)、絵文字も用意されていたので、英語メニューも簡単に作成。
これも残っていたので撮影しておきます。
45文字×20行表示の大型液晶ディスプレイがスライドオープンする凝った構造でしたが、残念ながらバックライトの用意はありませんでした。
近未来感
VAIOは色で独自性を主張していたと記憶していますが、プロデュースは、他のワープロがまだ得ていなかったポータビリティを持って、その独自性を強く主張していたと感じました。
既にとても高価なアップルコンピュータを所有していた方の中には、SONYが作るOS9搭載ノートブックの登場を待ちわびていた人がいたはずです。
私は2002年まで待って、初めて自分用のパーソナルコンピュータを買うことになります。
既にG4iMacが販売されていたのですが、iMacCRTG3の最終モデルグラファイトを選びました。
目的が動画編集だったので、自分の術式を動画保存しておられた眼科医のアドバイスで、iMovieが使えるiMacに落ち着いたのです。
もし、当時のVAIOがMacOSを搭載していたら、きっとVAIOを買ってたのに、、。
プロデュースは、そんな近未来を予感させるワープロでした。
取説も非常に凝ったもので、本体用の他に、グラフィック・通信・表計算など、5冊ほどにわかれており上質紙できちん製本されたものが電話帳サイズの箱に納められていました。
UIが良いのはSONYの特徴で、初心者でも理解しやすい 良い取説でした。
この辺りユーザーの満足度を高める、良い設えであったと思います。
独自路線故に
当時の標準価格は178,000円だったとか。
実弟がSONYの販売店で勤務していたので、型落ちを待って10万円以下で買ったように覚えています。
高価なスキャナーユニットなどはディスコンになってから捨て値で買ったものでした。
充電式バッテリーパックNP-22Hなどは汎用性が高いものでしたので、それほど高いとは思いませんでしたが、特殊な2インチフロッピーディスクや汎用性が無いインクリボンカートリッジの割高感は否めません。
その価格でも定価で買う人がたくさんおられたのは、当時のSONYの独自性の魅力だといってよいでしょう。
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購入金額
0円
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購入日
1991年頃
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購入場所
アビック河原町店
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