「美には、人を沈黙させる力があるのです。」
「美しいと思うことは、物の美しい姿を求める心です。」
中学生の頃、教科書に取り上げられていた『美を求める心』から。
幾度もこんな言葉たちに出会いたくなってページを捲る。
芸術を理解するためには小林秀雄を読まない事には始まらない、みたいな感覚で読んでいた時期もあったのだが、『様々なる意匠』なんか正直言って言い回しが難解で、結局のところ何が言いたいのか解らない文章が非常に多い。当然ながら書いてあることの殆んどがチンプンカンプンだった。
ただ、読んでいて透徹な文学の薫りが濃厚に感じられ、それに浸ることが中高生の私にはずいぶんと心地良かったりしていた。
難渋しながら読み進めてゆくと、ふと目の前の霧が晴れるような、脳に一撃を喰らうような惚れ惚れとしてしまう文章に出会う。
「美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない」
「突然、感動が来た。もはや音楽はレコードからやって来るのではなかった。海の方から、山の方からやって来た。」
「なるほど器物の美しさは、買う買わぬと関係はあるまいが、美しい器物となれば、これを所有するとしないとでは大変な相違である。美しい物を所有したいのは人情の常であり、所有という行為に様々の悪徳がまつわるのは人生の常である。しかし一方、美術鑑賞家という一種の美学者は、悪徳すら生む力欠いているということに想いを致さなければ片手落ちであろう。」
これらの文章は『小林秀雄 全作品21』に含まれていないものからの引用であるが、利休を”不自然で衰弱し健全な思想を失った”と言いきってしまう小林秀雄自身をもっとも解かり易く述べているものだと思う。
芸術を味わう(敢えて鑑賞と言う言葉は避けて)ということとは、頭で捏ね繰り回し、能書きに埋没することではなく、五感を研ぎ澄まし、五官を総動員して愛を持ってそれらに触れることに尽きるということなのであろう。
ただ黙ってその絵を見つめなさい、じっとその音に耳をかたむけなさい、結論を急ぐのでなく、あなたがひとりその沈黙に堪えうる時間がとても大切なのだと言っている。
心の琴線に触れることだったり、魂が震えるような感動に出会うこと。
小林さんにしてみれば、怪獣のオモチャと同列に語られ、ずいぶんと辟易するとは思うのだが、私にとってケムール人であれ、アフリカの仮面であれ、文学であれ、モノに触れる時に重要なことがそれらだったりする。
「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言いだすのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解かった例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、あゝはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな。」
始めて買って読んだ小林秀雄は、新潮文庫の『モオツァルト・無常という事』だった。
2013年4月18日 こちらも箱詰め完了。
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購入金額
1,890円
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購入日
2012年05月21日
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購入場所
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