それは、確かに「改革」ではあった。
ただし、共和国という形を残しながらも「カエサル」という単独の意志によって、国家運営が為されるシステムへ、の改革であったが。
確かに、ローマの抱える「格差」という名の臓腑の病を克服するには、強力かつ前例なき「権力構造」無くしては無理であったろう。
既得権益を持つ層が、共和国というシステムの舵を取っている以上、それらの者からシステムの舵を取り上げない限り、増大する一方の中産階級も、それに伴って増える貧困層も、固定階級のように世襲されてしまう。
それに、強大となりすぎたローマというシステムは、既に共和制の持つ意志決定能力では、版図に比して、組織の大きさに比して、決定事項が多すぎ、かつ遅すぎるようになってしまった。
結局、カエサルの示す「独裁」という道以外、ローマを立て直す手段は無かったのだ。
だが、単独の為政者の意志による、国家の運営たる独裁政。
それは、ローマが共和制へ移行してより、最も忌み嫌ってきた「王政」と何が違うのか。
カエサルの友ではあったが、政治的には敵対するキケロ、家族同然の付き合いと言われたブルータスらは、この「金属疲労で破綻しそうな従来の共和国システム」と、「カエサルの示す独裁政で立ち直りつつあるローマ」という、実質的な点における「優劣」を、
「独裁は王政と何が違う」という、イデオロギーの観点のみでしか見ることが出来なかった。
故に、彼らは「共和国を救うため」という正義に目覚めたのであろう。
そして、運命の紀元前44年3月15日がやってくる。
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・・・・・つーわけで、チートハゲさんご臨終の巻です。
このへんの時代がだいたい、海外ドラマ「ROME」などで取り上げられた時期ですね。
カエサルの政治改革は、間違いなく独裁を指向していたわけで、それ故にカエサルを嫌ってる意味不明な方々も多いんですが、この時期のローマというシステムを改革するには、それ以外の手段が皆無であったのは、ほぼ間違いない事実です。
本書では、それが塩野氏の手で順序よく暴かれており、カエサルの意志を継いだオクタヴィアヌスは、慎重にローマを「帝国」へと変貌させていく様を、氏は非常に淡々と「政治的な意味での実益」をどう見るかという観点から語り尽くしていきます。
このへんの政治的リアリズムは、戦後のマルクス史観でガチガチな歴史的価値観で見ようとすると、非常に理解し辛いものがあり、そういう教育を受けちゃった世代である私も、すんなりと「はいそうですか」と受け入れがたいのも事実なのですが、
「その国で実際に生きてた人たち」
にしてみれば、理想を語るだけで何も出来ない馬鹿よりも、手法はどうあれ結果を出しているトップのほうがマシに決まっているわけで、色々と考えさせられてしまうわけです、はい。
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