民俗学という不思議な響きのある学問。
私たちの生活の中では、それほどの注目を集めないものの、大家である柳田国男氏の遠野物語はご存知の方も多いのではないでしょうか。
考古学とは違い、あくまでも、民俗風習の記録、解読などをメインにする関係で、掘り起こす人の主観に寄る部分もあるような、無いような、と私はイメージしています。
ええと、まあ、そういう意見はともかく。
美しすぎる民俗学者、蓮丈那智さんとそのしもべである内藤三国さんの活躍が記されたミステリ作品です。
登場する学説などは作品の為の創作があるかもですが、根底の考察は興味深いです。薀蓄系ミステリとして是非読んでいただきたい。
ふと手に取ってみて、そのままハマりました、が。
民俗学者としての那智先生の考察が、巻き込まれる事件に密接に関わってくる作品となっています。
その為、大学の講義とも思える程に濃密な解析が入って来て、重く感じる人はいるかも。
これ以下の文章に、シリーズ全体のネタバレ的な私的考察が入りますので、興味の無い方や、ネタバレはキライ、と言う方は、ページをそっと閉じてくださいませ。
古事記、日本書紀から、民話、神社の縁起、村の言い伝えなどを、実在の歴史を抽象化した物語だったとしたら、その言葉、人物などの意味はどうなのだろうか、という視点で研究をしている那智先生。
分かれ道に置かれている道祖神、地蔵尊ですら、彼女に掛かると過去の災害と惨劇の記憶を封印した装置となります。
確かに、道しるべとなるものが有るという事は、その場所は、迷いやすい、或いはその場所を最後に遭難した人がいるという事でもあるのかも。
このシリーズで、印象に残っているのは即身仏が見つかって、村おこしにしようとする者が、那智先生にその僧侶の由来を調べてもらう為に呼ぶお話。
ところが、その人物は那智先生たちの到着と前後して行方不明となります。
即身仏も、調べてみると、『神社』の系列である祠に収められており、仏教との関わりが薄い事が判明。
また、祠に収められた向きから、今の村の方向を向いていない=村の安寧を守るものでは無いと考察。
過去の記録を調べると、とても古い時期に村は移転しており、それは山津波で壊滅したのではないかという事。
村に伝わる言い伝えにも、その記述はあり、追求していくと、即身仏となったのは、山津波が起きた時に土石流の上流で製鉄などを営んでいた、移動生活の集団の生き残りであるらしいとの事。
つまり、この即身仏は、望んでなった訳ではなく、生贄、人柱として、無理やり作られた存在。
そして、それを収める祠が、村に背を向けている理由は、山津波で壊滅した村から続いて来た道を正面から監視する為と解釈。
災いを受けて土の下に眠る村から、災いを持ち出す何者かが、今の村にやってこないように、という封印であったのでは、と那智先生は結論しました。
その言い伝えをしっていた村の古老は祠を見世物にする為に向きを変える事に反対していて、村おこしをしようとした人物を生き埋めにして新たな生贄にしようとしていたというお話。
何気ない道祖神の向きも、実は、邪なモノが来る方向を見ているのだろう、とか、災いを封じるには同じか、それ以上の悲惨な目に遭ったモノを形代にする、という考え方は、身震いするような怖さがある一方で、実在する神社などの縁起を見ると、妙に納得します。
さて、考察する時などに那智先生が、ドライマティーニを自分で作って、飲む描写があります。
凛として、格好良く描かれている彼女が、手際よく作って、口元に運ぶシーンは、想像すると色っぽくて、そして、スマートです。
私も、マネしてスマートになってみたいと思う位に良い描写です。
薀蓄のたっぷり詰まった良質の作品なので、面白そうと思われたら一度読んでみてください。
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購入金額
540円
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購入日
不明
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購入場所
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