LPレコード 及川恒平 「及川恒平 ベスト20」
キングベルウッド SSS-12
駅や橋、川の名前や地名は歌によく出てきます 面影橋..天満橋..
視聴者の想像力を沸かせる作詞者のアイテムなんでしょう
面影橋は東京で天満橋は大阪...? 何が何やら...
70年代、80年代...何処かの夜とか、ブルースとか...それは演歌か...
フォークは空とか自然派かな 身近な生活を歌ったものが多かった。
1975年頃、FM東京夜番組で及川恒平がマクセルユアポップスという番組をやってました
1年間の期間だったようですが、トーク中心だったような気がします 元々は六文銭の一員だったのですが作詞家とか色々やったようです 上条恒彦が歌った「出発の歌」旅だちの歌 の作詞者でもあります
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E7%99%BA%E3%81%AE%E6%AD%8C
マクセルユアポップスは色々なミュージシャンにスポットを当てた番組でした 水越けいこなどの特集もやってましたね カセットデッキで録音してたのが懐かしいです。
ネットの無い昭和時代...新しい曲はテレビやラジオで知り、強者は有線放送でしたね。
及川恒平の曲は「面影橋」位しか記憶は無いですね フォーク関係と六文銭関連かな位のイメージです それと「出発の歌」で上条恒彦と六文銭が一緒に歌っているのがとても不思議でしたね
その理由が以下に書かれています なんてこった....<`ヘ´>
>
1971年にヤマハ音楽振興会主催「第二回世界歌謡祭」選考の「第三回合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル(司会は永六輔[1])」が三重の合歓の郷・ヤマハのリゾートで行われた[2]。小室等率いる六文銭と上條恒彦は別々にエントリーしていたが、キングレコード・ディレクターの三浦光紀が、小室等にそれぞれ1曲ずつ作曲を頼んでいたものの、当日までに1曲しか仕上げられなかったことから、急遽一緒に組んで上條恒彦+六文銭として参加することになった[3]。
「出発の歌」の作詞は、元々はかぜ耕士が書く予定だったが、「体調が悪くて書けない、降ろしてくれ」と連絡が来たことから[4]、及川恒平が「出発の歌 -失なわれた時を求めて-」というタイトルで詩を書き、会場に向かう新幹線の中で、手直しして完成させた[3][5]。なお、詩の構想は上條恒彦が1年前からあたためていたもの[4]。
結局間に合わせの曲だった訳で少しがっかり...
-
購入金額
0円
-
購入日
2022年10月頃
-
購入場所
ZIGSOWにログインするとコメントやこのアイテムを持っているユーザー全員に質問できます。