人に借りて目次を読んで冒頭の技術的な要素だけ読むに済ませて読了。およそ5分。
中身はアドラー心理学だ。
しかし、書いていることは全て逆説的だと感じた。
最近よく思うのが、世間一般に自己啓発本は一杯あるけれど、身に付いている人は極わずかだという事。
大体にして、3日後には忘れているか、一つのことを実践に移しているくらいだ。
何故か。
大体記述が逆説的で、
「挨拶を自分からしよう。」
という事が本に書いてあるとしても、
挨拶の本質は、
「相手に対して”挨拶をしたい”と自然に思えるから挨拶をする。」
と僕は思ってる。
同じようで全く違う。
何故、自然と挨拶をしたくなるのか。
何故、その際に笑顔で挨拶が出来るのか。
何故、挨拶をした人をもっと知りたいと思えるのか。
そういう挨拶の本質を書いている自己啓発本は、僕は今のところ見たことが無い。
自己啓発本で刺激を得るのは勿論良いことだと思うけど、僕が提言するのは、広範囲に知識を得つつ実感と共に本質を知り、自分の無知を知る事。
「自分が知っている事。知らないことの区別化をする。」
他人が知っている何かは、自分の知らない何かである可能性を知る事。
「この人は自分の知らない何かを知っている。」と自然に思える事。
そこからは学びが生まれる。
学びから尊敬が生まれ、尊敬から感謝が生まれ、感謝から挨拶が生まれる。
これが、挨拶をしようという自己啓発本の一文に隠された本質であり、
「相手に対して自然に挨拶をしたいと思える」
源泉となる。
多分、こういう本質的行動を説いた本は売れないんだろうな。とは思う。
非常に遠回りで、めんどくさく見える。そもそも、本すら要らなくなってしまう。
・挨拶をしよう。
であれば、 「習慣化するまで挨拶を頑張ってみよう!」 と思うので済むから。
でも、本質を知らないままの挨拶では、ずっと「挨拶をしたい」という欲求を得る事が出来ない可能性が高い。
逆説的行動は簡単だ。考えなくて良い。
しかし、端的で得られる物が少なく、そもそもの本質に到達し得ない可能性が高い。
本質的行動は遠回りに見えて、いつかは関連する全てのことを得る事が出来る可能性を秘めている。
目的と付随する目標を持ち、それに対する知識を得ようとする姿勢と努力を継続し、試行錯誤による多くの失敗と少しの成功を重ねる。
目的や目標の達成よりもそのステップそのものが非常に貴重な自己成長の源泉となる。
やりたい事。夢中になれる何か。
それに対して目的と目標を持ち、どうすれば達成出来るのだろうかと考えて行動し学ぶ事、それが全ての始まりを意味すると僕は考える。
だからこそ、僕はあらゆる本を読み、自分の無知を知る。
だからこそ、僕はトレーニングをし、知識を実感に変えようとする。
だからこそ、僕は全てに対して学びを得ようとする。
そこには自己の成長が出来る可能性を秘めているから。
そしてそれこそが、毎日がワクワク出来る源泉になるから。
-
購入金額
0円
-
購入日
2019年11月22日
-
購入場所
友人
きっちょむさん
2019/12/22
お婿にいけない・・・www