しばらく「ブラスバンドでの思い出」を中心に書いて来たが、高校の「合唱部時代」のエピソードを思い出したので書いてみる。「思い付くまま」に書いているので、突然、小学校の4年生に戻ったり、大学生時代の話になるかも知れない。
「ラテン語」だったか、「古い英語」だったか?それとも、「ヘブライ語」だったのか?いい加減な物である。あんなに一生懸命に練習したのに…。合唱部で歌った時の言語の事だ。(どうも、「古い英語」だったらしい。そもそも、ヘブライ語やラテン語なら意味が理解出来ない)
高校を卒業してからも、なぜか「合唱部」の部長に呼び出された。と言う事は、こっちは大学生の時だ。もちろん、夏休み中で「ヒマ」と言えばヒマだった。しかし、この時、大変な任務を担う事となったのだ。詳しい経緯は分からなかったが、引率の先生は何かしら理由を付けて断ったらしい…。我が後輩らは、「藁にも縋る思い」で自分に引率を頼みに来た。
引率その物は構わなかったのだが、行先は丹沢。台風が近づいていて、山では「鉄砲水」が恐れられていた。そんな状況の中でも、部員らはキャンプを楽しみにしていたらしく、全員+引率の分の食料を仕入れていた。「カレーライスの肉」などは、丁寧に味噌を絡めて腐らない様にしてリュックに分担して持っていた。その他にも、「米」や「飲み物」などもきちんと用意していた。もちろん、テントなども人数分用意してあり、大掛かりな物だった。それを見ては、「天気が怪しいから止めよう!」とは言えなかった。
現在の部長は元々仲も良かったし、頼まれたら「嫌」とは言えなかった。こうなれば、「腹を括って」引率するしかない…。予め、テントを張る場所は部長らが決めてあった様だ。実際、天気はすぐれないままだったが、何とか降雨は免れた。テントの周りを10センチ位ずつ掘ったが無駄になった。でも、雨に降られるよりはマシだった。
全ての食事のメニューは思い出せないが、「豚汁」と「おにぎり」、「カレーライス」は思い出す。ちなみに、料理に使う「味噌を絡めた豚肉」はどちらの料理にも共通だ。現地に着いて少し時間があったので、「ヘンデルのハレルヤ」も全員で合唱した。
夕食の後の時間は、片付けと明日の朝食の準備が終わると誰とも無く「フォークダンスの輪」が出来る。以前にも一度話したと思うが、「マイムマイム」や「オクラホマミクサ」などの音楽はOBの自分がハーモニカ1本で演奏した。踊る部員達も息が切れるほど踊ったが、こちらは少しも息切れなどせず「楽勝」だった。昔は健康その物だった。
楽しいフォークダンスが終わると、みんな自分のテントに戻り眠った。中には眠れず星を眺める者も居たが、最後は部長と2人きりになった。彼も、「これから雨が降って鉄砲水が出るのでは?」と不安だったのだ。だから、責任感のある2人は、夜を徹して監視をすることにしたのだ。でも、今考えると、そんな対応は「水が出た時、そのまま流されるか、テントごと流されるか」の違いでしかない!「水が出る!」と分かった所で、何も出来る手立ては無かった。それに、光が無いので、「川の水が濁り始めているのか透明のままなのか?」なども確認の方法は無かったのだ。
2人でインスタントコーヒーを入れて何杯もお代わりをして飲んだ。なぜか、「銘柄」まではっきりと覚えている。「ネスカフェ・ゴールドブレンド」だ。この頃、「ゴールドブレンド」はすでに発売されていた。始めて飲んだ訳ではなかったが、この時のコーヒーはとても美味しかった。保安の目的でずっと絶やさずに燃やし続けている石の竈の周りで、2人も石の上に横になって星を眺めながら話を続けた…。「部長の恋愛の悩み」や「将来の不安」の相談に乗るなど、様々な話題を話した…。
結局、「星を眺めながら話が出来た」と言う事は天候も悪くなかった訳で、キャンプ中は何も無かった…。嬉しい事に、翌朝は「快晴」となった。山を降る出発前にも、歩きながら、皆で元気良く歌い続けた。「ハーレルヤ、ハーレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレールヤー!」。全員が声を合わせ、普段の何倍も嬉しそうに歌った。もちろん、「ハレルヤ!」は「神の栄光を讃える言葉」なのだが、この時ばかりはメンバー全員にとって「天候の晴れ」を喜ぶ歌に違いなかった…。まあ、「晴れて嬉しい」のも、広い意味では「神に感謝している事」には変わりは無い…。
かなり「危ない橋」を渡って来た訳だが、「結果、オーライ!」とはこの事だった…。
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