「私はどうにも近江が好きである」
司馬さんは、再び須田剋太画伯とともに近江を思索しながら歩きます。
お市の方との間に生まれた娘に家光を産ませたことによって、日本史に深く血を残した浅井長政のこと。
石田三成亡き後、近江を治世した井伊直政に「西国三十余カ国の諸大名の監視」という重責を負わせた家康の慧眼。
そしてそのミッションが代々井伊家に相続され、のち幕府瓦解期の井伊直弼は安政の大獄を主導した、なんてくだりを読んでいると、司馬さんの世界にどっぷりと浸っている幸福感に包まれてしまう。
文明が喰い荒らしてしまった、かつては美しかった農村や田園、湖水。
乱開発に憤り警鐘を鳴らす文章は斜め読みすることが出来ない。
「私どもが新しい文明観でもって秩序美をあたえるような時間的余裕がないままに高度成長がきてしまったためでもあるだろうし、さらには土地所有についての思想と制度が未熟なままに経済成長の大波がやってきたためでもあるだろう」
「道路整備という公共投資を西欧はローマ以来やってきたが、日本はいまいっぺんにそれをやろうとしている。国じゅうがひっくりかえってきたなくなってしまったのはそのせいだ。」
「文明観を持たずに、金だけを持った」とは恥ずかしかったためにいわなかった。さらに「その金で土地が買える。土地を所有すればどんなに景観を変えてもいい国なんだ」ともいわなかった。
「人間のくらしには、「文明」と「文化」がかさなりあっている。「文明」は普遍的で便利でかつ合理的なものだが、つねにそれに裏打ちされている「文化」は、どの国あるいはどの集団でも不合理なものであり、逆にいえば不合理でなければ「文化」ではありえないのではないか。それに堪えて、不断にくりかえすというところに、他とちがった光が出てくるともいえる。」 『奈良散歩』
司馬さんの言う「文化」・・・「その集団を特色づける歴史的神聖慣習」=東大寺の修二会(お水取り)。
そこで失われゆく大和路のすがたかたちを写しつづけていた入江泰吉さんとの出会いや、「無垢の困惑」興福寺の阿修羅について語るくだりは中でも印象深い。
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購入金額
840円
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購入日
2012年頃
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購入場所
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