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squareさん
2007/08/12
以前、中国から来た留学生(学校の先生)とコーエーの三国志を遊んだときに諸葛亮の評価が高すぎるとコメントしていました。正史にはほとんど登場していないと思います。
もちさん
2007/08/12
はじめまして、こんばんは。
実は、コーエーのゲームからハマった三国志スキーなので、呉が好きという日本ではありえないくらいマイナースキーなんです。
呉ファンだと、どうしても正史よりになってしまい、演義を見ると「そうじゃないんだっ!!」と叫びたくなります。
物語としてはもちろん評価できるのですけれどね。
「諸葛亮の評価が高すぎる」というのは頷けます。
でも、中国人は日本人よりも「演義」思考だと思っていました。違うんですね。
諸葛亮は優れた軍師というか、優秀な人だったとは思います。ですが、評価すべきなのは軍師としてよりも、政治家としての手腕ではないでしょうか。
劉備死後の蜀を崩壊させなかった手腕こそが評価されるべきで、軍事行動に関しては一概に褒められるだけではありません。
って、熱く語りすぎです。
念のため申し上げますが、諸葛亮も好きですよ。(いいわけくさいですが)
コメントありがとうございます。
squareさん
2007/08/12
当時その留学生は中国の学校教育では龐統が最も重要に扱われている軍師だと言っていました。でも徐庶が出てきたときにやたら喜んでいたのです(笑)
もちさん
2007/08/12
なるほど。。。
日本と韓国。韓国はわかりませんが、日本は吉川英治がすばらしい三国志(演義ベース)で書いたから、どうしても演義傾向になってしまうのは理解できますね。かと言って吉川英治がいなければ、果たして、ここまで日本に三国志は広まったか? 微妙です。
龐統が優れた軍師というのは、三国志を検証しているサイト様で見たことがあります。(本かな?)だからこそ、成都攻略に龐統を連れて行ったのだし。劉備が龐統の提案した3つの案のうち真ん中を選んだから死んだのだと(これは極論でしょうが)ありました。
でも、演義だと、かわいそうな役回りなんですよね。
徐庶! 諸葛亮を劉備に推薦した人……(だったはず)。
諸葛亮とは仲良しさんの人ですね。(その表現もどうかと)
squareさん
2007/08/14
龐統も赤壁における連環の計の発案者の一人として教えられていたようです。
もちさん
2007/08/15
たくさんのコメントありがとうございます。三国志についてとなると、無駄にレスが長くて申し訳ないです。
黄さんですか。なるほど、黄忠に反応するのは理解できます。中国人は13億もいるくせに、名字は100前後くらいしかないらしいですし。同姓同名も恐ろしくたくさんいるとか。名字が同じだと血縁意識がでるとかでないとか?(だから、趙雲は趙範から兄嫁を娶れと言われて断っていますよね)
「赤壁」に関しては、あれほど有名な合戦なのに、正史にはほとんど記述がないんですよね。ですから、真実は謎が多いと言われてますね。
そもそも、なぜ、曹操は船を鎖で繋いだのか。。。
龐統が発案者…というのはおもしろいですが、正史の龐統の伝には「赤壁に参戦した」という記述はないんですよね〜。(笑)
くどいようですが、演義を否定しているわけじゃないんですよ? 呉の評価(特に周瑜)が低すぎると言いたいだけです。
でも、黄忠は蜀の五虎将軍の一人ですからね。自慢もしたくなるでしょう。(笑)
squareさん
2007/08/15
春秋~戦国時代の呉国の人材は北の斉国あたりで内乱がおこると難を逃れて呉地方などに逃げるんですね。曹操が注をつけた兵法十三編の著者と言われる孫武もその中の一人と考えられます。
時は流れて三国時代にも黄巾の乱があって呉国に人材が集まってくる構図は同じで、しかも逃げるくらいだから資産を持ってるんですよ。過去に斉から呉に逃げてきた孫家は田家と王位継承権の揉め事に入り込んで敗れた孫なので元々北の名家です。孫家はその名声を人集めに利用すればいいってことにはなりますがカリスマ性の無い孫さんも居たわけで三国時代の孫家三代は大変だったでしょうね。
もちさん
2007/08/16
おっしゃるとおりです。呉の地方には呉の独特の文化がありました。黄河を中心に中国は発展を遂げていきますが、呉国もまた長江を中心に発展していきます。さらに肥沃な土地で、銅も豊富に取れる所でもあり、一つの文化(国)を形成していたと言ってもいいと思います。さらに、呉郡より南は漢王朝の支配の届かない未開の地。
孫家は己の地盤である呉を拠点に天下を目指していくのですが、豊かであるがゆえに問題も多く抱え込むことになります。人材は多く集まってくるけれど、彼らはあくまでも清流派と呼ばれる者たちで、漢王朝の正当性を唱えています。
逆に中央から離れて生活していた呉の地元の人々は目の届かないことを良いことに好き勝手していて「漢王朝なんぞ知るか!?」と反対派だったり。(必ずしもそうではないが)
さらに、独立勢力が各地にいたりで、孫家三代(特に孫権)は苦労しています。
また、豊かであるがゆえに、天下を目指す必要性がないという問題点。
つまり、歴史上、北から南へ攻めるのは当然であり、南から北へ攻めて天下を取るという図は存在しなかった(らしい)ので、最終的に孫権が天下を目指したかどうかは微妙なところ。
つまり、呉は恐ろしく他民族国家だったと思います。
でも、孫堅が「孫子の子孫」(←逆さ言葉のようだ)と言っているのは、ハッタリじゃないかと思っていたり。
劉備が「中山靖王の子孫」と称しているのもハッタリではと。
同じ名字だから……って、疑いすぎですか。(笑)
孫堅の父親の名前さえ、どこにも記されていないんですよ?
squareさん
2007/08/17
劉備はひいじいちゃんは県令だったようですが官位を買うお金が無くなって庶民になったようですよ。三国演義で皇帝の前で家計図を読み上げられるのは脚色です。
もちさん
2007/08/17
名前は正しいのかな? 孫尚香と同じで、定説になっただけで、史実には記載されていなかったように思いますよ。
出典は六朝時代の小説で「幽冥録」と手元の資料にはあります。
ちなみに、呉・三国志の「長江燃ゆ」では「孫啓」と書かれていました。
呉書孫堅伝の冒頭には『おそらく孫武の子孫なのだろう』という妙な書き出しだったり。微妙すぎて泣けます。
劉備の「皇帝の前で家系図を〜」はフィクションでも、正史の一番最初に「漢の景帝の子、中山靖王劉勝の後裔である」とありますよね。で、父の名と祖父の名が書かれる。(東郡の范の令にまでなったとありました)←もっとも、この頃の官位はいろんな本を読んでも、今ひとつ理解しきれませんが。
お金がなくて〜という記述はありますね。曹操の家計は逆にお金で官位を買ったんだと思えば、本当に対局な二人ですね。(笑)
squareさん
2007/08/18
元は瓜売りなんですが子供に売り物をくれと言われて孫鍾はきちんともてなすんです。子供は「ここは王土になるよ」と孫鍾に告げて幾星霜。もてなした場所に孫鍾は埋葬されたのですが、孫堅の母が堅を身ごもっているときに墓所から5色の光が天に昇った(んじゃなかった?)と。で村人はすげえことになるぞと騒いでいたのですが母は気色悪い夢が続いて堅を産もうかどうしようか迷ってしまったんだけど産んでラッキーという伝説のような話だったと思います。
もちさん
2007/08/18
あ、漢字が微妙に違うのですね。。。
孫堅の母のエピソードは有名なので小説の中でも、いろいろと流用されていますよね。
正史にも書いてたかな??
「呉書にいう。孫堅の家は代々呉で役人をしていた。家は富春にあり、町の東には先祖代々の墓があった。墓地の塚の上にしばしば光が見えるという不思議があり、そこから立ち昇る五色の雲気は、上に昇って天と繋がり、数里広さに広がった。人々はこぞって出かけてこれを見物した。長老たちが語り合っていうには、「これは普通の気ではない。孫の家はきっと盛んになるだろう」
母親が懐妊したとき、自分の腸がとび出して、呉(蘇州)の閶門(西の城門)にまきつく夢をみた。目を覚ましたが心配なので、隣のおばさんにこのことを話した。隣のおばさんが言った。
「それは吉い徴かもしれないわ」
と、いう話ですね。squareさんの記憶力に脱帽です。すごい。ぴったりですね。
宋書はさすがに読んだことないですが、代々、役人でいたのはまちがいないでしょうね。
あと、ここで書くべきじゃないのですが、オーディエンスの私はsquareさんのもちものにコメントができないので一言だけ書かせてください。
「覇-LORD」すごく気になります。。。スゴイ設定なんですよね。。。
読みたいような、読みたくないような……。怖いけど気になります。。
squareさん
2007/08/18
もちさん
2007/08/19
イカシた袁術!!(笑)
孫家の敵!!(と、言っても孫堅も孫策も袁術麾下でしたが)
もう少し、様子見しておきましょうか……。
squareさん、コメントありがとうございました!!! 全然、「正史・三国志」とは関係ないのに嬉しかったです。
squareさん
2007/08/25
もちさん
2007/08/25
うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!(squareさんのところでコメントします)
suecastさん
2007/09/09
(といっても、もちさんとsquareさんがこの話しているとき、
私オーディエンスユーザーだったので入れなかったわけですが)
正史まで読まれているとは、さすがです!
(正直、正史はききかじった程度でして・・・・)
正史と演技で扱いが異なり、演義で扱いが可哀想と聞いているのは
・曹仁(本当は結構強かったのに、
演技では夏侯惇や夏侯淵がおいしいとこ、曹仁は蜀のやられ役・・・・
やっぱ派手なエピソードが必要なんですかね)
・周瑜(戦地での戦略のスペシャリストで、赤壁の戦いの本当の功労者。
なのに・・・・おのれ、諸葛亮め(笑)
しかも演義でのイケメン役はなぜか趙雲・・・・・・
もうね、みんな持って行きすぎですよ、流石に)
「覇-LORD」はぶっとびまくりで、もう設定もなにも気にならないです(笑)
この漫画で個人的にぶっとび具合が気に入っていたのは張角でした
(この顔のキャラにこの台詞?! ミスマッチっぷりがすごいです)
suecastさん
2007/09/09
書いているところが2~3点ありました(混ざってますね、なんでだろ)。
suecastさん
2007/09/09
・桃園の誓い
・貂蝉(モデルの方がいらっしゃたとも聞きますが)
・青龍偃月刀(でも、青龍刀持ってない関羽はなんかしっくりこないですね)
まぁ、あまり突っ込み過ぎると面白くなくなってしまうので、
「演義」と「正史」 一粒で二度おいしい
ぐらいのスタンスの方がいいのかもしれません
もちさん
2007/09/09
オーディエンスのときって、「コメントしたい!!」って時に切ないんですよね。(笑)
演義は物語だから、どうしても見せ場を作るために無様な負け方をする武将が必要になるんだと思うので仕方がないとは思うんですけど。
曹仁は曹一族の中では一番の武将だったんじゃないでしょうか。(敗戦ももちろんありますが)夏口の戦いでは周瑜相手に1年間がんばっているし。樊城でも関羽相手に援軍が来るまで守り抜いているし。(強いという説明になっていない)
ただ、夏侯惇は武勇伝はともかく、「曹操から一番信頼された男」ですからね〜。格が違うんでしょうね。
周瑜に関しては語ると長いんでやめておきますが。(笑)
彼なくして「赤壁」は語るな!と言いたいですよ〜。(涙)正史上、諸葛亮外交デビューですから見せ場を作りたいのはわかるんですけどね。
しかも、あだなが「美周郎」ですよ?! 「美」という文字を使われているのは彼だけなんですよ?!
「男に生まれたからには周郎になりたい。女に生まれたからには周郎の恋人になりたい」
そんな風に言われる人なのに………。(涙)
血を吐いてるキャラじゃないのにぃぃぃぃ。なぜかすっかり美形だけど悪役キャラになっている。そして、絶対音感の持ち主。(笑)
演義の仮想設定も史実と思いこんでいる人は多いでしょうね。(私もその一人でしたが)
桃園の誓いはなかったとしても、あって欲しいシーンですね。
貂蝉は中国の4大美女の一人になっちゃうくらいだし。(王昭君,西施,貂蝉,楊貴妃の四人が古代中国の四代美女)
青龍偃月刀も張飛の蛇矛も三国時代には作られていない武器ですが、関羽のヒゲと青龍偃月刀はもう定番ですよね。(呂布の方天戟もこの時代にはない)
でも、ヒーローにはヒーローに相応しい秘密兵器がないといけませんから。(^^;)
あと、周倉・関索は架空の人物とか。
でも、この辺はやはりsuecastさんの言う通り、一粒で二度おいしいと思って楽しむべきなんでしょうね。
現実に、演義は「腹が立つほどおもしろい!」のですから。(笑)
squareさん
2007/09/09
周瑜は確かに語ると長くなる人物かもしれません。従祖父周景とその子周忠が漢の大尉になのでやたらと名家の出です。なのに孫策の下について終始補佐役を全うしたんですね。よほど固い友情だったのでしょう。
私は三国演義の人気の理由は全員が「天下獲ってやる!」的乗りでストーリーが展開するところにあると思っています。これが漢朝成立期(項羽と劉邦が争うやや前)の登場人物では「自分が王になろうとして失敗すると一族皆殺しにあうから補佐役でいいや」風なんですよ。
呉の人材は元は北部の戦乱を嫌って集まった人々の子孫なので赤壁前には保身のために降服する方向で話をまとめてしまいそうになるのですが、本来そういう人たちのリーダーっぽい周瑜こそが「否、開戦あるのみ」って感じなところにしびれますね。
もちさん
2007/09/11
周瑜のことなので、どうコメントしようか迷いました。(笑)←熱くなり過ぎです。
とりあえず、孫策と周瑜は「断金の仲」ですからね。とだけ。(それだけか!?)
>私は三国演義の人気の理由は全員が「天下獲ってやる!」的乗りでストーリーが展開するところにあると思っています。
これには激しく同意です。
曹操・劉備・孫権(孫策・孫堅)の三つ巴の争いこそが、三国志の醍醐味だと思います。
で、曹操VS劉備の図に、孫権がいやらしく絡んでくるんですよね〜。呉ファンと言いつつ、呉(孫権)のあり方は時に腹が立ちます。(笑)
ですが、この呉の存在が、スパイスになって演義のおもしろさを際だたせていると思います。(呉を褒めているわけではなく)
二国の物語じゃなく、三国だから良いのだと思います。
そして、どこも天下を取れなかったところがね……またね、日本人心をくすぐるんですよね。(笑)
史実ではほとんどなかった一騎打ちなんかは、1800年も昔だからあり得る話ですし、これがドラマをよりおもしろくさせてるし。
三国志演義は、老若何女ワクワクする話です。
ご存じでしょうが、孫策と太史慈は本当に一騎打ちをしています。
だからじゃないですが、孫策は大好きです!(それが理由か)
ま、そういうことをやっちゃう人だから、早死にしちゃうんですけどね。
孫呉は三つの可能性の死を迎えています。
一つ目は、孫策の死。
二つ目は、周瑜の死。
三つ目は、魯粛の死。
この三人が早死にしているせいで、孫呉は、軍略において方向転換せざるを得なくなったと思います。
孫策のやり方で、どこまで領土を拡張できたかはわかりませんが、少なくとも、彼の死によって、孫権はしばらく守りに徹することになります。
そして、周瑜の死。
孫策の遺言により、軍事を任されていた周瑜が死ぬことによって、「天下二分の計」は完全に消滅し、後を継いだ魯粛の「天下三分の計」に方向転換せざるを得なくなります。
たらればですが、周瑜が生きていたとしても、劉備は簡単に滅びはしないと思いますので、実質、三分される気はしますが、呉の軍事的方向性は変わっていたでしょう。
そして、最後が魯粛の死です。
魯粛は演義のようなお人好しでもなければ、道化でもありません。
ですが、魯粛は蜀(劉備)をつぶす時期は、もっと先と思っていたでしょうし、呂蒙の代になったからこそ、魏と裏で手を結んで、関羽を死に至らしめる結果になったと思います。
魯粛が生きていれば、関羽が樊城を攻めた時に、どう対処したかはちょっと想像できないんですけどね。
じゃあ、孫権が優柔不断なだけじゃないか!と、言われそうですが。。。(^^;)
まあ、その辺は長くなるので。。。(充分長いって!)
そういうわけでですね(どういうわけだ)、呉の存在が、三国志をおもしろくさせているんですよということで。(って、ぜんぜん、話が繋がっていません)
三国以外は、勉強不足で「項羽と劉邦」さえよく知らなかったので、漢朝成立期のことは少し意外ですね。
中国は日本とは全然違って、本当に王朝がコロコロ変わって(歴史の長さが違いますが)割りと野心的なイメージだったんですけどね。
すいません。何を書きたいのか、やっぱり意味不明です。。。。
squareさん
2007/09/11
天下三分の計という言葉があります。
有名なのは楚漢戦争時、劉邦が蜀から楚都の彭城(現在の徐州あたり)を攻めるときに韓信という将軍に北征の大軍を託しますが、縁あって蒯通という人材が韓信に身を寄せます。蒯通は韓信に”劉・項・韓で天下を三分すれば戦上手の韓信がいずれ覇を唱えることになるでしょう”と謀反を進めます。韓信は自分を信頼して大軍を任せた劉邦に大恩を感じていたので謀反しませんでした。
このようにして三分は識者にとっては当たり前の見解でしたので呉の立ち振る舞いは軍事力だけを考えれば無茶だったかもしれませんが理には適っていたと判断しなければなりません(誰でも考えるとも...)
残念なことには周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜と名将が続いていたせいで呉の民に厭戦気分が生じていたのではないかと私は想像しています。
参考までですが、劉邦が天下を治めた後、韓信は無用の長物ということで謀反の嫌疑で処刑されます。執行の際に韓信が「あのとき蒯通の言うことを聞いていれば...」と口走ったので蒯通も捕らわれます。
蒯通の尋問は劉邦自身が行ったそうですが蒯通の言い分に納得して刑を免じたので蒯越・蒯良という子孫が登場することになるんですね。
というわけで繋がりがあって楽しいんですよ。
もちさん
2007/09/11
すいません。。でも、押さえました。(爆)
前にもコメントしてますが、三国以外は、本当に無知です。
なので、「天下三分の計」というのは中国では割と普通に考えられた思想(?)だったのですね。
「項羽と劉邦」と言うくらいだから、第三の韓信が存在するとは(実際は謀反をおこしてないから当たり前ですが)思いませんでした。もし、韓信が謀反していたら、漢王朝が起きる時が「三国志」だったかもしれないのですね。(笑)
「項羽と劉邦」もコアなファンがたくさんいるくらい、おもしろいらしいですが。
>残念なことには周瑜・魯粛・呂蒙・陸遜と名将が続いていたせいで呉の民に厭戦気分が生じていたのではないかと私は想像しています。
これは否定しきれませんね。
物語としては呉の参戦はスパイスの役割を果たしていますが、リアルで考えると戦を長引かせるだけで、決して良いことではありませんし。
張昭が赤壁で和睦する(実質降伏)と言ったことで、後に孫権が帝王になったときに張昭を丞相に任命しませんでした。
ですが、裴松之が意見を述べるように、張昭自身は「天下三分の計」を良しとしていなかったし、遙か先の呉や中華全土の民のことを思えば、魏に降ったほうがある意味正しいと言えるのですよね。戦乱で疲弊した中華全土をまとめられる最大のチャンスであったわけですから。
(これを言うと三国志が終わってしまうんだけどね)
諸葛亮死後、姜維が無理とも言える北伐をくり返すことによって、蜀が疲弊していったように、戦は決して民のためにはなりません。
(まあ、それを言うと、三国志すべてを否定しちゃうんだけどね)
>蒯越・蒯良という子孫が登場することになるんですね。
蒯良ーーーーーーーっっっっっっっ!!!!
孫堅死なせた。。。。。(爆)
あの方ですね。。。。。
こ、こんなところで繋がっているとは………。
歴史は侮れませんね。。。。
なっくんさん
2007/10/13
それにしても、この長~いコメント合戦は、非常に興味深く読ませていただきました。
学生時代に舞い戻って、また、三国読もうかなあ、という気になってしまいましたよ♪
もちさん
2007/10/14
最初にこの3冊を買って、で、蜀書を買って(馬超が好きなので)、で、魏書。
と、気づくと8冊のうち7冊まで買いました。(苦笑)
この本は、本当にシンプルな内容でいろいろと想像を膨らませることができて楽しいですね。
自分で勝手に解釈できるというか。(日本語でも現代文じゃないので四苦八苦ですが)
>学生時代に舞い戻って、また、三国読もうかなあ、
学生時代とは違う感動があるかもしれませんよ?
また、いろいろと解釈も変わってきているようですから、新たな発見があるかも?