国語の教科書に尾崎放哉と並んで必ず出てくるであろう自由律俳句の代表者、種田山頭火。
本書は昭和9年、彼が九州から山口を行乞しつつ旅を行っていた時の記録である。
各地を行脚し、托鉢で得た金銭と米で安宿に泊まる。その生活の繰り返しの中で生まれた日記であり、当時の世俗や風景などが事細かく描写されている。その合間合間に句が挿入されており、句ができた背景や文脈がわかるのは非常に興味深い。
代表的な句の「うしろすがたの しぐれてゆくか」もここで見ることができる。(自嘲)と書かれた前置きが一層物悲しく感じる。
孤独な流浪生活の中で、アルコール依存症になりつつも、温泉と水と人を、そして風景を愛した山頭火の句はどこかしら慈しみと人間臭さを感じる。
よく尾崎放哉が「静」の句であることに対し、山頭火は「動」の句であるという対比がなされるが、対比がなされる軸になるものとして「生死感」があるように感じる。
この乞行記の中で、山頭火が尾崎に対して言及していた箇所がある。要約すると「放哉坊は死を無視している(超越しているのではない)彼自身死に急ぎすぎた」というものである。
あえて超越しているのではない、と断るところに山頭火の洞察の鋭さがある。
思うに、尾崎の句は死を無視することによってより死が際立っているように感じる。たとえば、彼の
「こんな大きな石塔の下で死んでゐる」という句があるが、何が死んでいるのかについてはまったく言及されていない。それは虫かも知れないし、何がしかの動物かもしれない。はたまた人間である可能性すらある。何が死んでいるのかはここでは無視されている。
しかしむしろ彼が驚いているのは「こんなに大きな石塔」である。直接死について驚いているのではない。石塔がどんな大きさであろうと、それは死の本質ではない。死にはまったく関係がない。でも彼はそれに驚く。こんなに大きな石塔の下で、生き物が死んでいる。死んでいるのだ。こんなに大きな石塔の下でも生き物は死ぬ。それに対する驚き。
彼は石塔に着目することで、あえて死を無視している。でも、無視されることで死の存在が際立つ。
視界の隅に黒いもやがあるように、でも目を向けると消えてしまうもやのように死は存在する。
そのことに山頭火は気づいていたかもしれない。山頭火はむしろ生に執着する。家族も家も財産も失った彼であったが、それでも生きることを選んだ。酒におぼれ、不眠症の故、薬に頼りつつもそれでも生きることを選択した(自殺未遂はしているが、それでも未遂に終わっているところに彼らしさを感じる)。その感性があったからこそ、放哉の死を無視している―死を限りなく物質的に、マテリアルに捉えている―姿勢に感づいたのではないかと思う。
そんな言及があって読んでてちょっと胸が熱くなってしまったとさ(´・ω・`)
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購入金額
1,200円
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購入日
2017年08月04日
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