遠州七窯に数えられる京都は宇治の朝日焼
平等院がある宇治では良質な土が採取されるだけでなく、名高い宇治茶があります。
江戸時代中期の茶人である小堀遠州が、自らの好みを伝えた窯元が遠州七窯と呼ばれます。
この朝日焼も、その七釜に数えられます。
素晴らしい茶器を世に送り出し続けるのに、この地には 全ての条件が揃っているように思えます。
朝日焼
茶どころ宇治の窯元として400年間、お茶にかかわる器を作り続けている窯元
煎茶器を作り始めたのは約150年前の八代長兵衛の頃から
繊細で優美な造りはろくろによるもの。
糸底部の成形も決して手を抜くことがありません。 ここに朝日の手掘り刻印があります
朝日焼は原料の粘土に鉄分を含むため、
焼成すると独特の赤い斑点が現れるのが最大の特徴である。
それぞれの特徴によって呼び名が決まっている。
燔師(はんし) これは師匠が焼いたものという意味だそうです
赤い粗めの斑点がぽつぽつと表面に浮き出たような様子が特徴のひとつ。
鹿背(かせ) 燔師とは対照的に、肌理細かな斑点が見られる器をいう。
鹿の背中の文様に似ていることから こう呼ばれるのだとか
紅鹿背べにかせ 鹿背の中でも、特に鉄分が多く、よりくっきりと紅色が見えるもの
手元にあるものは紅鹿背に属すると思われます。
デザインのためのデザインではない
決してデザインのためのデザインではありません。
1.5mmの穴が150個前後丁寧に開けられております 最後の一滴まで注ぐことができ、お茶の味を最大限に引き出します。
外側の青磁色と異なり、内部は白く仕上げられております。
茶の色を見紛わないための当たり前の工夫です。
茶葉がはみ出さないように注ぎ口の上には庇が設けられております。
蓋の裏側は青磁柚色 庇に当たる部分は青い釉薬が施されておりません
一般的な急須にある持ち手がない理由
それは
上質な茶葉の旨みを十分に引き出すためにぬるめのお湯
(煎茶の場合は70度くらい。玉露なら40〜60度くらい。)
で淹れることを前提にした宇治茶の文化では、持ち手はあまり必要としておりません。
持ちてのある急須は思いの外 場所をとります
宇治では昔から、客間に茶器のセットを置いておきお客様を迎える文化があります
客間に場所をとる急須は敬遠され、持ち手のないこの種の様式が好まれるようになったのだとか
そして この形状の急須を 宝瓶(ほうひん)と呼びます。
茶器全般を、河濱清器(かひんせいき)と呼び、使いやすさと目的に合致した品位を持ち合わせることに務められているようです。
宝瓶と蓋は、一体です。 同じ時期に焼かれたモノ同士でも 互い違いには出来ません。
ピタリと納まるように成形〜焼かれています。
写真では片手で注ぐ形になっておりますが、それは撮影上の都合から止む無くしたものです
正しくは片手で支え、片手で蓋を押さえるようにします。 その時に合わせの良さが判ります。
松林さん
私がまだ高校生の頃、玉突きのお客様で松林さんという若い趣味人がおられました。
長身痩躯に細い銀縁メガネ
彼はオーディオと車が趣味でしたので、色々なことを教えていただきました。
上記のGRACEのトーンアームは、松林さんが同社のストレートアームに買い換える際に下取りさせていただいたものです。
ロールバーが仕込まれた初代三菱ランサーGSRの運転席を経験させていただいたこともあります。
硬い足回りより、素直なハンドリングと三菱車特有のギアノイズが印象的でした。
後に私が現在のお店を開いた時に、この宝瓶を開店祝いとして くださったのです。
そして その数年後、彼は若くして病に倒れられました。
現在のご当主である松林さまが、私の知っている松林さんのお兄さんなのか弟さんなのか
それは、まだ知りません。
しかし先月の旅行で立ち寄った浜松は龍潭寺のお庭は小堀遠州作
毎日楽しみに聞いているCBCラジオ「つボイノリオの聞けば聞くほど」のメインパーソナリティであるつボイノリオさんは、陶芸に明るく、遠州七窯という言葉を知ったのはその番組から。
今年の父の日には 長男が清水焼体験で手作りしたビアマグをくれました。
松林さんとお別れして四半世紀以上が過ぎておりますが、こうして彼を思い出すイベントが続くのは
何かの縁だと思います。
折を見て、宇治の朝日焼窯元を訪れて、宝瓶に合うお茶碗を探してこようと思っています。
体験清水焼と並べると、その質感が伝わると思います。
現在の販売価格は 税込みで27,000円だそうです。
http://asahiyaki.com
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購入金額
0円
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購入日
1980年04月頃
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購入場所
いただきもの
ぴょんきちさん
2017/06/30
こういう機能からくる美しい品は門外漢でも見とれます。
大事にされているならなおのこと、それが伝わってこようというものです。
良いものを見せていただきました。
フェレンギさん
2017/06/30
改めて考えるにつけ、この宝瓶にあう茶器を求めねばならぬ そんな気持ちになってます。