レビューメディア「ジグソー」

どこまでも切なく優しく懐かしい演奏

弘前、東京、鎌倉、京都、そしてソウルで演奏されたCOMPOSTELAのライブ録音を集めたアルバム。録音は、演奏中の客席の椅子のきしみが聞こえるほど生々しい。アルバムのジャケットには、各地で撮影された写真が印刷されている。親しみやすいというよりもむしろ直感的な嫌悪を感じてしまいそうなくらい、体臭を感じるような素人じみた写真だ。

 

そんな汗臭い要素に反して、バンドの名前はおそらく、キリスト教の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラからとられていると思われる。星の野、あるいは墓地が語源ともいわれるコンポステラだが、それは深読みに過ぎず、実際は「良い場所」というくらいの意味だという説もある。

 

夭折したサックス奏者の篠田昌已のための墓地、あるいは無数の才能が星星のように集う野原、という意味で深読みの方のニュアンスをとることもできるだろうし、彼らが音楽を奏でるときにそこに生じる空間が「良い場所」なのだ、と解釈することもできるだろう。関係者の証言をあたれば、何らかの裏付けを得られるだろうが、それには証言という以上の意味はない。

 

 

 

 

 

 

更新: 2016/01/05
無法な優しさ

彼らの音楽を表現するために、彼らの表現をもう少し借りよう。

 

9トラック目のタイトルは「アジールのマーチ」。聖域とも自由領域とも、無縁地とも訳されるアジールにおいて、軍楽の象徴であるマーチを奏でるとはどういうことなのか。権力の外側で、どのようなエネルギーが組織されうるのか。

 

あらゆる制約から自由になろうとしたフリージャズの流行のあとで、体系化から疎外されていたジンタなどの古く新しいジャズ(大衆音楽)のいわば亜流を「再発見」した篠田たちが出した答えがこのトラックだ。

 

最後にはまるでグラインドコアのブラストビートのような乱れ打ちが登場するこのトラックは、続く「月下の一群」へと繋がっていく。1992年6月のソウルで録音された「アジールのマーチ」には、得も言われぬ不安定さ、心細さがある。「月下の一軍」は東京のMANDALA2での録音だ。

 

フリージャズのように無法者の暴走を匂わせながら、19世紀末から20世紀前半の市井の人々あるいは河原者たちが親しみ、また食い扶持にしてきた音楽のいわば重力を借りて、辛うじて楽曲としての形態を保とうとしている。

 

その力強さや勇敢さは、何故か底知れぬ優しさと包容力を醸し出している。アジールに住まわされ、またそこに住むことにあまんじている人々が、まるで月明かりの元、妖しい一群となってどこかへまろびでるかのような流れを是非、疲れた時に聞いてみて欲しい。

 

 

  • 購入金額

    3,240円

  • 購入日

    2016年01月05日

  • 購入場所

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