BUCK-TICKというバンドは、BOOWYとX JAPANの中間的な位置づけで、ヤンキーとビジュアル系ファンが好きなバンドとして広く認識されていると思う。この認識は日本国内の市場において巨視的に考える場合は正しいのだが、更に巨視的に世界的なロック史の中に位置づけてみると別の姿を現す。
より微視的に、バンドの出自やこのアルバムが制作された状況を考慮しても、単なるヤンキーや特定のファンに向けた消費財という次元の作品だとは考えられない部分がある。バンドが結成された1980年代における「ロック」というまだジャンルが不定形な部分が色濃かったし、1990年代初頭のビクターエンタテインメントは、音楽業界全体がバブル崩壊の大波から生き延びている状態にあった。
ビクターのラジカセのCMで「低音がバクチクする」というキャッチコピーで登場するアイドルバンドという側面もあったBUCK-TICKだが、よりハイクオリティなオーディオ環境に見合う「音作り」が試みられている。これはアーティストの意向だけではなく、レコード会社の思惑という側面もあったと推測される。
本作には、デジタルリマスター盤が存在する。そちらのほうが良い部分もあるのだが、ややスクエアな印象になってしまった。別の時代のアルバムで、別のエンジニアの手によってリマスターされたものは魅力が増大しているものもあるので、本作に限っていえばエンジニアの志向の問題かもしれないが、1993年というある種の自由さを活かすマスタリングがなされていなかったのだろう。
1993年の自由さ、というのは、いわゆる「ロック」という音楽が帯びている脳天気な自由さとは性格が異なっている。かつてジミー・ヘンドリックスがファズギターで体現したような、伸び伸びとした個人の天才性ではなく、時代と社会と資本の刻印を受け、それらに盛大な下駄を履かされた若き不良たちの機械仕掛けの遊び。
聴く人が聴けばむしろ驚くような、やり過ぎなくらいのプリプロダクション……もっとも、これもまた聴く人が聴けばわかるのだが、その過剰なプリプロダクションも当時の「最先端」の音楽においてはむしろある種、露悪的なほどに行われていた。アイドルバンドに敢えてその過剰さをぶつけるという試みすら、他に例は挙げられる。
ことさらBUCK-TICKがその過剰なプリプロダクションの恩恵を受けていることが興味深いのは、つまり要するに本作が魅力的なのは、ヤンキーとロックという、本来的にはバイクやディストーションギター、そして反社会性という、常識や正統性から逸脱しようというダイナミズムを運命づけられた要素を、このバンドが必然的に担っているからである。逸脱性は、時代と環境に恵まれなければ、ほのめかされ、聞き手が勝手に想像するしかない痕跡にとどまってしまう。しかし本作は違う。
単なるヤンキーや、単なるロッカーでは表現することのできない逸脱性、奇抜というにはあまりに奇抜な音楽性が、1993年のビクターエンタテインメントにおいて、当時もっともヤンキー的でロック的で、かつレコード会社が投資するに足る売り上げを見込めるバンドだったBUCK-TICKだからこそ、実現させられたのだ。
本作は、いわば最高級の素材を用いて、もっと「ワル」っぽく歌舞いた、奇妙な味わいのフルコースである。シェフを始め、料理人から給仕に至るまで、全員不良である。だが、食器から調度品に至るまですべてがその時代、もっとも贅沢なものが選ばれている。20世紀最高の二流品。一流品を退屈と呼びうる数少ない希望が本作である。
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購入金額
3,146円
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購入日
2016年01月05日
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購入場所
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