ジョン・フィリップ・スーザ(1854~1932)が、1908年に自身のバンド「スーザ・バンド」を率いてボストンの食品博覧会に招待された時に作曲された行進曲と言われている。スーザのバンドは数年前から毎回この博覧会に招待されていたが、スーザはこの博覧会で働く1人の若く美しい女性に心を寄せていた…。その彼女の美しさを表現したのがこの曲なのだ。それを頭に描いて聴き直してみると、彼女はとても活動的でとびっきりの美女だった事が窺われる。(なんだ、スーザもやることやっているな!)ちなみに、「Fair」と言う言葉には「美人」の他に「博覧会」と言う意味もある。
録音の方は「おせじにも素晴らしい録音」とは表現出来ないが、演奏その物は「素晴らしい」と思う。
(陸上自衛隊の演奏)
高校のブラスバンド時代だったろうか?「高校時代は、合唱部に居たのでは?」との質問もあると思うが、同時にブラスバンドにも居たのだ。ついでに言っておくと、同時に「茶道部」にも居た。随分と複雑な話になるが、茶道部には親友の「I」(応援団長で、女子には持てた)が居た。彼に頼まれたのと、「男は2人だけ」と聞いて不純な動機で入った…。ま、「その話」はまたいつかするとして、ブラスバンドの話に戻る。
小学生時代、中学校時代、高校時代とブラスバンドに居たので記憶が一緒くたになっている部分もあるのだが、高校時代のブラスバンドの事は余り良く覚えていない。「中学・高校」と一緒の仲間も居たし、「小学校・中学校」と一緒の仲間も居たので、記憶があいまいになるのも仕方が無い。いずれにしても、余り真剣になってやっていなかったのだと思う。
「美中の美」は「とても難しい曲で、将来も演奏することなど無いだろう」と思っていた曲だが、実際に演奏してみると思ったよりも簡単に出来た。自分だけでなく、他のパートの担当者も楽に付いて来る…。
この時、チューバを担当していた。残念ながら、「スーザフォン」は無かった…。メンバーの演奏の腕前に付いては、かなり上達していたと思う。もちろん、あの「低音の出しゃばり過ぎ」は無かった…。反対に、演奏を時々休んだり、音を出さずに演奏する「ズル」もしていた。もちろん、バンドとしては、自衛隊の演奏には敵わないものの少人数の割には「それなり」にこなれた演奏をしていた…。ただ、やっぱり、スーザの曲は「大編成のブラスバンド」でなければ演奏は映えないと思う。
-
購入金額
0円
-
購入日
2010年頃
-
購入場所
Amazon
sakさん
2014/09/09
美中の美は中学でやってた…けど譜面忘れたので引っ張り出しながら聞いてみたり。
(パートは同じくBasses、音楽之友社刊のパート譜です)
装飾音符や転調後のハネたリズムなど、あまり他のマーチに少ない細かな音符が
付いてるのが印象的ですね。
低音は広がりやすく届きにくいので休むなんて…オーバーな強弱記号はともかく
としても、弱めの所は補強しないとバランスが(と言ってもバンド編成の都合ですね)
hachiさん
2014/09/09
コメント、ありがとうございます。
もう少し真面目に練習していれば、もっと上達していたんでしょうが…。
そもそも、「『美中の美』はそんなに難しくない」と感じていた事自体が間違いなんです。色々な意味で「現状分析」が出来ていませんでした…。
それでも、今思えば、「懐かしい思い出」です。