世界で一大マンボブームを巻き起こしたキューバのペレス・プラード楽団のベストアルバム。アルバム名は「THE BEST OF PEREZ PRADO」。その1曲目に収録されているのが、「セレソ・ローサ/ペレス・プラド楽団」だ。
ペレス・プラードはどう言う訳かキューバ国内では受けが悪かったため、大博打を打って1948年にメキシコシティへ移住した。そこで「ペレス・プラード楽団」を結成し、一躍人気アーティストとなった。
その後、代表曲となる「マンボ No.5 (Mambo No. 5)」や「マンボ No.8 (Mambo No. 8)」を発表すると、マンボは世界的なムーブメントとなった。
中でも、アメリカ進出後に発表した「セレソ・ローサ(Cerezo Rosa/Cherry Pink and Apple Blossom White)」は、アメリカのヒットチャートで26週連続チャートインの快挙を成し遂げたと言う。
小学校4年から5年生になる時だった。「学校にブラスバンドを作ろう!」と、一年上の先輩らを誘って、音楽の担任や学級担任らに激しい運動をして、「横浜交響楽団」のコンサートマスターを特別講師として頼み込んで指導して貰った。
正式な「部活」ではその頃はやらせて貰えなかったが、講師と担当が帰ると、机を幾つも並べて「特設ステージ」を作って、トラッペット2本、メロホンなどでセッションを組み、グレンミラーの編曲した「アメリカンパトロール」を始め、「スウィングジャズ」などを「楽譜無し」の即興で演奏したものだ。
この曲も、トランペットが目立ち、私と先輩には「持って来いの曲」。最後のソロで「超高音」を出す所は先輩にしかやらせて貰えなかったが、「練習」だけはしていた。だんだんとバンドのメンバーの技量も上がり、「アメリカンパトロール」などもやらせて貰い、「コンテスト」などにも出る様になった。しかし、私たちのバンドには「決定的な問題」があった。私も先輩も「トランペット」が得意なのだが、表の「ブラスバンド」では「低音部」の担当だった。「ユーフォニューム」や「チューバ」などだ。一番張り切っていて元気の良いのが「低音部」で、皆から半ば「頼り無い」とされている「U」が、ただ1本のトランペット。講師の「編成」も悪いと思うが、「これ」ではメロディーなんか聞えて来ない…。私も先輩も「そんな事」には気付かずにひたすら「元気良く」演奏を…。「チームワーク的」には最低で、「ハーモニーが悪い」のは「Uのせい」としか思っていなかった。そんな「恥ずかしい青春」を思い出させてくれるのが「この曲」だ。(この話にはまだまだ続きがあるのだが、年を越してしまうといけないので、「続き」はまたの機会にする)
今でも「赤っ恥もの」なのは、そのブラスバンドには交響楽団の指揮をしていた「有名な音楽家の息子が居た」と言う事だった。私は、すでに卒業して何年も経ってから母親から「その事実」を聞かされた。ま、「間違った事」はしなかったので、今でも堂々と胸は張って居られる…。当時「部長」だった私は、「そいつ」を見込んで、「次期部長に」と「指揮法」を特訓したのだ。「指揮は、タクトを振るのではなく、各拍子のポジションを指し示すもの」と言う方針で熱く語った…。「そいつ」がその後ブラスバンドを引き継いでどの様に仲間や後輩を指導したかは判らないが、きっと、私の熱く語った内容は引き継がれていると信じている。(すでに、この頃から「ラテン系」)
ちなみに、この曲の冒頭の「ドミファソ~」(CEFG~)の部分は、「テンポ・ルバート」で「出来るだけスローで引っ張る」のが好みである。
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