レビューメディア「ジグソー」

『「迷える子 ストレイ シープ」と美禰子が口の内でいった。三四郎はその呼吸を感ずる事が出来た。』

はじめて読んだものは新潮文庫で津田青楓の装丁が表紙だった。
『街道をゆく 37巻~本郷界隈』の中で鴎外や一葉、漱石の足跡を司馬先生と本郷界隈に辿る旅をしていると、また無性に『三四郎』が読みたくなり、本棚を漁ってみたのだが見当たらない。
こういう時に電子書籍は便利なのだろうか、とこころが傾きかけたりするのだが、やはり書店に出かけた。
表紙が変わってしまった新潮文庫はどうにも買う気になれなく岩波文庫を購入した。
*添付した画像は初版本の復刻版。


ジェームズ・ボンドを満喫し、さて年末に向けてと意気込んでいたところ体調が振るわない。
早めにと病院に行って診察してもらい薬を飲んでいても身体のだるさが抜けず熱まで出てきた。
なんとインフルエンザに感冒。去年の肺気胸といい、12月8日にはなにかある。
A型で比較的軽症。3日間の欠勤で済んだ。
熱が下がった2日目に『三四郎』を味読。


冒頭からいい。
全体的に明るく歯切れがよくリズミカルな文体は『坊っちゃん』の系譜。
熊本から大学入学のため上京した小川三四郎を巡る青春(教養)小説と理解される、日本文学の名作であるのだが、この年齢になって読んでみると、青春とか教養とはまた違う要素も感じられた。
日露戦争直後の日本を、漱石は「亡びるね」とさらりと広田先生に言わせている。
それから40年後のこの国を、文豪はどのような姿で脳裏に描いていたのであろうか。
一見淡い恋愛小説の体裁をとりつつ、地方出身の青年の成長を軸とし、文明を手に入れ日本(文化)を捨て去ろうと彷徨う明治41年の日本の姿を、彼を取り巻く周辺の風景の中に切り取った小説として読むことができた。
あまりにも美しい絵画的で印象深い三四郎と美禰子との出会いの場面。
「われは我がとがを知る。我が罪は常に我が前にあり」
幻惑され散々に翻弄された三四郎だが、それから百年後に生きる私にとっても里見美禰子は十分魅力的であり、永遠の女性であった。
  • 購入金額

    420円

  • 購入日

    2012年12月頃

  • 購入場所

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