(´・ω・`) うん、また、遊戯の為の蔵書なんだ。
聖書をもネタにする。
それが、重度ゲームマスター症候群に罹患したものの、業ですね。
この本を購入しようと思ったのは、TRPGの解説本の一節。
「心貧しき者は幸いである」
のパロディを思い出したから。
TRPGを知らない者は、幸いである。
これから、体験するTRPGを一番新鮮に楽しめるから。
ダイス運の無い者は、幸いである。
波乱万丈の物語の主人公となって、冒険を続けられるのだから。
能力値の低い者は、幸いである。
成長の喜びが、最も大きいのは、その者であるから。
というような感じ。
上手く、TRPGの布教の流れに繋げていますね。
最近では、とある教会のTwitterで。
「右手で、神のネタツイートをしたならば。
左手でも、ネタツイートしなさい」
というような呟きがあって、神の愛を感じました。
その上馬教会のアカウントからは、こんなツイートが日々生まれて来ているようで。
その素晴らしさには、感動するかもしれません。
さて、この本を登録しようと思ったのは、この一節が少し頭をよぎったから。
「最初の石を投げる」(ヨハネによる福音書8章3~7節)
この女は、不義を行ったので、石打の処刑となります。と告げられて、主は、こう仰られた。
「あなた方の中で罪を犯したことの無い者が、最初に石を投げなさい」と。
群衆は、恥じて解散した。
というような感じ。
とある議員が離党した時に、「それは、そんなに重い罪じゃあないから」次の機会を与えてあげて下さい。
と、寂聴さんが仰ったそうです。
行状と、仕事の結果・成果はリンクしなくても良いと。
「最初の石を投げる」のように、皆さんも石を投げる前に考えてください。と。
その通りかな。と私も思わなくもないです。
が、とある議員は、「最初の石を投げる」のような出来事が他の人にあった時に、「そういう事もあるよね、私も全く罪のない存在では無い」と恥じて、その人に更生を求めるのではなく。
「じゃあ、石投げますね!」と、投げていたから、今、石を投げ返されているのです。
我々は残念ながら、主ではなく、律法学者でもないので、石を投げた者に救いではなく、石を持って応えてしまうのです。
堅苦しい解説や、宗論だけではなく、現代に合わないものへの疑問や、著名人による冗句への転換などもあります
「今ある権威」には、今は通じない、いえ、発言から少し経っただけで、実は誤りだったかもしれないと、思われた概念があります。
権威とは、神に与えられたものである。
故に、上に立つものの権威には従いなさい。
という論調。
初代法王のパウロの言葉ですが、この言葉が残されたしばらく後には、ローマ帝国がキリスト教徒を迫害し、猛獣と戦わせるなどの行為を行いました。
それを知ったならば、この言葉をパウロは撤回したかもしれない、と筆者は書いています。
また、アメリカの独立を含む、独立運動は、この言説によれば、神の権威に逆らうものとなりますが、実際には、そういう解釈で批判されることは無いですね。
そして、そもそも、エジプト王国による支配からの離脱も、否定してしまう事になります。
地上に神の国が作られたならば、と付け加える解釈もあるようですが。
筆者は、そうではない、と、退けていますね。
また、「富豪が天国にゆくというのは、針の穴をらくだが通る方がまだ易しい」という言葉を、マーク・トウェインが、「外国人があのひどいドイツ文字を読むよりも、金持ちが針の穴を通って天国に入る方がまだ易しい」というジョークを書いていたりするという、エピソードが書かれていたり。
単純に、神の摂理、愛を説かれても、受け入れにくいことはあるかもしれませんので、こういうアプローチは必要なのかもですねぇ。
上馬教会のように砕けてもらうと、もっと、広まるのにw
そうそう。
私の好きな、パラドックスインタラクティブ謹製ストラテジー、Victoria2の拡張パックに使われている名前「ハウスディバイデット」も、実は、聖書の一節。
「内輪もめの家」から来ています。
悪魔祓いをする主に対して、「悪魔の王の力を借りて追い出している」と言いがかりをつけられた時に、「サタンが、サタンを追い出すとは、内輪もめではないか。それでは、家は、王国は成り立たない。どうして、地上を征服しようというのだ」と答えたそうですね。
それを、リンカーンが、南北戦争勃発を控えた演説で、引用して戦争回避を願ったとの事。
それ以来、南北戦争や、それに近い分裂をしそうな時に、アメリカでは用いられる表現であるとか。
興味深いデスヨネー。
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購入金額
1,000円
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購入日
2013年頃
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購入場所
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