■ R・サラフィアン米映画監督、肺炎で死去 - シネマニュース : nikkansports.com
リチャード・キャスパー・サラフィアン監督が亡くなった、というニュースを
9月に目にしてから、時間ができたらゆっくり観よう、とまた気になってました。
もう何回も何回も観てるンですよ。
レンタルVHSの時代から、無性に観たくなって夜中に借りに行く、
ということを繰り返して、ついにDVDを買ってしまいました。
『ストリート・オブ・ファイヤー』や『男たちの挽歌Ⅰ・Ⅱ』などとともに
ときどき観たくなる映画のひとつです。
また久々に観ました。3年か4年ぶりくらいに観たのかな。
よく「アメリカン・ニューシネマ」の代表作のひとつに挙げられますが、
ンなこたぁ関係ネェですよ、自分にとっては。
特別な映画です。好きとか嫌いとかも超越した次元にあります。
いまはクルマの性能も当時とは比べ物にならないくらいに上がっていて、
道路も整備されて交通事情も良くなっていますから、運転を交代しながらだったら
「デンバー~サンフランシスコ間を15時間で走る」のもそんなに難しくないでしょうね。
ためしに Google Map で調べてみました。
A地点「アメリカ合衆国 コロラド デンバー」 B地点「サンフランシスコ」と入力すれば
約1,250マイルあって18時間30分かかる、というルート検索結果が表示されます。
しかし、『バニシング・ポイント』は1971年公開です。
1970年のお話です。バリー・ニューマン演じるコワルスキーはひとりで走るのです。
1,250「マイル」といってもピンときませんよね。
2,000km超えてるンですよ。鹿児島市~青森市間の距離に相当します。
当時の粗くて荒れた路面。道路網も現在のように整備されていません。
エンジンこそ6300ccの怒涛のトルクを誇るクルマですが、
サスやタイヤは貧弱だったでしょう。
ダッジ・チャレンジャーが名車だったといっても、44年前の水準です。
44年前の6リッターオーバー車って、燃費を考えると給油の回数だって、
イマの倍ぐらいになってしまうのかな。
普通に走っていても厳しいタイムリミットです。
これを警察に追われながらやってのけようとするのですから、
物語の設定自体に狂気が含まれているハズです。
実行する主人公に狂気が宿っているハズです。
ところが、ダッジ・チャレンジャーが西へ西へ進んで行くうちに、
コワルスキーが持っているハズの狂気が感じられなくなっていきます。
反対に、コワルスキーを取り巻く「空気」が狂気を帯びていきます。
観ているこちら側にはそう感じられるようになります。
よくプロ批評家や一般の方々のレビューに書かれていることに、
「当時のアメリカ社会の矛盾に対する …」
というこの作品についてまわるお決まりの文脈があります。
いっこうに終結する気配がないどころか激化の一途をたどるベトナム戦争、
キング牧師暗殺が暗殺されたと思ったら、その2か月後には、
兄ジョンの後を追って大統領選挙を戦う最中の弟ロバートも暗殺される、
というケネディ家の悲劇に象徴されるような、
戦争も差別もなくならない当時のアメリカ社会。
閉塞感の充満する社会に対するカウンターカルチャーが盛り上がりを見せる中で、
その中のひとつのムーブメントとして「アメリカン・ニューシネマ」
と呼ばれる一群の作品が脚光を浴びていました。
「アメリカン・ニューシネマ」が語られるときに、Vanishing Point は必ず、
といっていいくらいに取り上げられます。
なるほど、確かに、Vanishing Point は「定石」を踏んだストーリー進行になっています。
反体制的な人物が体制に敢然と闘いを挑むが、最後には体制側に圧殺される。
個人の無力さを思い知らされ、幕を閉じる。そのままですね。
「ふーん、…」と否定はしません。
が、しかし、この作品は、それだけじゃナイ。
自分にとってはもっとシンプルで普遍的な物語を語っていますね。
大人になったら折にふれて身につまされるンですよ。実は、
身近なテーマについて突きつけてくるのです。
でないと、こうも何遍も何遍も観やしませんよォォォ!
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購入金額
980円
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購入日
2005年頃
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購入場所
タコシーさん
2014/02/03
昔観た映画をもう一度観て見たいという思いはありますね
なんという映画だったか、自分の子供を育てられない親なので
国家に取り上げられるので保護施設に夫婦で車で時間限定で行かなくちゃならない
設定だったか......という映画は当時はそんなこと無いだろうと思っていましたが、
今は日本でも現実な現象ですね....アメリカは進んでいた.....?
20年くらい経って日本でもそうなってますね....
ジェイソン太郎さん
2014/02/03
コメントありがとうございます。
「昔見た映画をもう一度観てみたい」のは、まだ若くて(幼くて)解らなかったシーンのひとつひとつやその映画のイイタイコト(テーマ)が「いまだったらわかるンじゃないか」「もっと深くわかるンじゃないか」という期待を経験から持ってしまうからでしょうね。
で、鑑賞して、そこまで期待に応えなかった視聴に終わっても、以前は気がつかなかったワンカットの意味に気付いたりしますよね。
あと、自分も「現実が映画に追いつきつつあるなぁ」という感想を持つときもあります。
タコシーさんが仰ってる「自分の子供を育てられない親なので国家に取り上げられるので保護施設に夫婦で車で時間限定で行かなくちゃならない」映画をワタシも観てみたいです。