レビューメディア「ジグソー」

お宝アニメ 〜カートゥーンのルーツを探る〜

7人がこのレビューをCOOLしました!

コメント (8)

  • 亜津さん

    2010/04/19

    Wikiで調べました。
    BOSKOという項目はないので、周辺情報から抜粋。


    ***「ルーニー・テューンズ」より***

    ワーナーは1930年より、レオン・シュレジンガー所有の独立スタジオの下、ヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングというディズニー出身の有能なアニメーターを社外から招き、カートゥーン(アニメーション)製作に乗り出した。

    彼らはジャズを使って過激なギャグを交え、黒人少年ボスコを主役にした『ルーニー・テューンズ』、および『メリー・メロディーズ』などのヒットシリーズを作り上げた。

    1933年にハーマンとアイジングが製作環境や契約でもめてシュレジンガーのもとを去った後はジャック・キングやフリッツ・フリーレングらが白人少年バディを主役にカートゥーン映画を作り続けた。


    ***「ルドルフ・アイジング」(BOSKO作者)より***

    初期はヒュー・ハーマンとともにウォルト・ディズニーの元で『アリス・コメディーズ』や『しあわせウサギのオズワルド』の制作に参加し、ディズニーやアブ・アイワークスにミッキーマウス誕生のきっかけとなるネズミのスケッチを提供していた。

    その一方で、1920年代の当時より自分のアニメーション制作スタジオを持ちたいと考えていた。

    ディズニーやチャールズ・ミンツと決別したアイジングはハーマンと共にアニメーション制作のユニットを結成し、後に「ハーマン=アイジング」の名で呼びならわされることとなる。


    ***「ミッキーマウス」より***

    ウォルト・ディズニーは、カンザスシティ都市圏にスタジオを置いていたがそれを破産させてしまい、ニューヨークの配給会社チャールズ・ミンツの下で、当時のヒットアニメ『フィリックス・ザ・キャット』を模造したキャラクター、ジュリアス・ザ・キャットを用い『アリス・コメディーズ』という実写合成ものの短編を作っていたが、パット・サリバンによる再三の抗議のため、ミンツは、1927年『しあわせウサギのオズワルド(Oswald the Lucky Rabbit)』の製作への変更をディズニーへ指示する。

    ディズニー自身は主としてプロデューサーであり、アニメーターではない。
    ミッキーマウスはオズワルドやポール・テリーの『クレージー・キャット』を元にアブ・アイワークスがデザインしたものである。

    ウォルトは、育ての親として優れたプロデューサーであるが、アブ・アイワークスは、自分の作ったミッキーを奪ったとして、しだいに共同経営者のディズニーを嫌い憎み恨むようになる(その後アイワークスはディズニーと決別し、自身のスタジオを持つに至る)。

    ミッキーマウスの実際の第1作は、チャールズ・リンドバーグにちなんだヒット作『フィリックスのノンストップ飛行』のパロディであるが、どちらもサイレントで、配給ルートも得られず、まったく相手にされなかった。



    画像はOswald the Lucky Rabbitのオズワルド。
他5件のコメントを表示

ZIGSOWにログインするとコメントやこのアイテムを持っているユーザー全員に質問できます。

YouTube の動画を挿入

YouTube の URL または動画の ID を入力してください

動画の ID が取得できません。ID もしくは URL を正しく入力してください。

ニコニコ動画の動画を挿入

ニコニコ動画の URL または動画の ID を入力してください

動画の ID が取得できません。ID もしくは URL を正しく入力してください。

ZIGSOWリンク挿入

検索対象とキーワードを入力してください

    外部リンクを挿入

    リンク先の URL とタイトルを入力してください

    URL を正しく入力してください。

    画像を挿入(最大サイズ6MB)

    画像を選択してください

    ファイルサイズが6MBを超えています

    別の画像を追加

    ZIGSOW にログイン

    ZIGSOW会員登録(無料)はこちらから