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島根県立古代出雲歴史博物館 入場券

島根県立古代出雲歴史博物館 入場券  

2018-7-20 入館 

出雲大社を訪れた次に、歴史博物館に寄ってみました 出雲大社の隣です。  

ボランティアさんが随行して説明してくれました かなり詳しい方で元は学校の先生みたいでした。 

    

  

島根県立古代出雲歴史博物館は、出雲大社に隣接する島根の歴史・文化を紹介する博物館です。出雲大社関係の展示や青銅器など、国宝や重要文化財に指定されているものや、200本以上の銅剣の復元模型や古代出雲大社本殿の10分の1模型など、見ごたえのあるものが数多く展示されています。神話シアターでは、古事記や出雲国風土記を題材にした神話を大迫力の映像で楽しめます。電車でのアクセス:出雲市駅(JR)から車で約20分      

  

   

358本もの荒神谷遺跡の銅剣(国宝)や加茂岩倉遺跡の銅鐸39個(国宝)など見所がたくさんあります。また、出雲大社旧本殿の御柱のひとつ宇豆柱、そして本殿の10分1のミニチュアは圧巻です。  

     

2000年、地下祭礼準備室の建設にともなう事前調査に際し、境内からは勾玉などの他、巨大な宇豆柱(1本約1.4mの柱を3本束ねたもの)が発掘された。古代社殿の柱ではと騒がれ、16丈説があたかも確認された事実であるかのごとく報道されたりもしたが、結局、中世の遺構で現在とほぼ同大平面であり、柱の分析や出土品からも1248年(宝治2年)造営の本殿である可能性が高いとされている。ただし発見されたものが古代の本殿ではなくとも、16丈であったことの証明になる可能性があると書かれた教科書や書籍もある (1丈は約3.0303メートル = 3030.3 mmである)。建物の高さは48mと言われています。

 

 

本殿基礎柱の説明用タイル : 1.4m径の杉丸太を3本1組にして9セットで本殿を作っていたとのこと 下画。  

  

古事記?に出てくる出雲大社(当時は別の読み方)ですが、このように太い丸太をどうやって何処から切り出したのか説明員の方に聞いたら道具は鉄製の斧だろうと言ってました 何かおかしいなと思って説明を聞いたら、1220年頃の建立なので全くの古代ではなく鉄器があった頃です 切り出した場所は判りません。発掘された宇豆柱などは鎌倉幕府時代なのでしょう。武士と神殿は合わない感じもしSますが、よくわかりません。 私は弥生時代とか平安時代なのかと思っていましたが、結構時代が下がるんです それ以前も神殿は在ったと思いますけど。

 

  

   

   

    

   

    

          当時の太刀の重さがどれ位かの模型展示があり 触れます

        

358本の荒神谷遺跡の銅剣(国宝) 上段の銅剣は200本以上の銅剣の復元模型と説明聞きました。

     

              出土した銅剣  館内では圧倒的な存在感があります。  

     

  

  

「荒神谷遺跡」が正式名であるが、地名を冠して「神庭荒神谷遺跡」とも呼ばれる。

1983年広域農道(愛称・出雲ロマン街道)の建設に伴い遺跡調査が行われた。この際に調査員が古墳時代の須恵器の破片を発見したことから発掘が開始された。1984年 - 1985年の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。銅剣は1985年、銅鐸・銅矛は1987年に国の重要文化財に指定されていたが、1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されている。出土品は現在、文化庁が所蔵し、島根県立古代出雲歴史博物館などに保管されている。遺跡自体は1987年に国の史跡に指定された。斐川町(現:出雲市)が中心となり1995年に遺跡一帯に「荒神谷史跡公園」が整備された。2005年には公園内に「荒神谷博物館」が開館し、出土品の期間展示などが行われている。現在、出土品は2007年3月に出雲市大社町杵築東に開館した「島根県立古代出雲歴史博物館」に常設展示されている。

銅剣の一箇所からの出土数としては最多であり、この遺跡の発見は日本古代史学・考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより、実体の分からない神話の国という古代出雲のイメージは払拭された。その後の加茂岩倉遺跡の発見により、古代出雲の勢力を解明する重要な手がかりとしての重要性はさらに高まった。出土した青銅器の製作年代等については下記の通りであるが、これらが埋納された年代は現在のところ特定できていない。

 

                    画像拡大できます

       

   

       

  

      

  

    

   

銅鐸 

地元の研究者である速見保孝によると、近辺に銅鉱山があり、また鋳型を作るための材料となる「来待石(砂岩の一種、細かい細工がしやすく、勾玉などの製造に際して砥石として利用された)」が大量にある事から、出雲で原材料を集め、大量に製造したのではないか、という説もある。更なる研究が待たれる。

成分 銅を主成分としスズと鉛を含む、青銅である。 スズは8.79~17.3%、平均で12.6%。鉛は1.53~7.53%、平均で4.3%含んでいることが分かった。銅とスズの合金である青銅は、スズの配合によって色が変化する。このような成分組織では、銅鐸の地金の色は少し黄色味を帯びた銅色(現在はサビで覆われている)を呈していたと考えられ、中には金色に近い色を呈していたものもあったのではないかとみられている。

 

  

  

 

展示物は剣や曲玉、焼き物など盛りだくさんであり歴史に興味のある方は見学されると面白いと思います 説明員の方はボランティアでした。

ウィキペディアや各ブログからの説明文のコピペが入っています。  

  

  

  

  

古代の出雲世界 

https://www.jcca.or.jp/kaishi/237/237_toku3.pdf  

  

  

  

 

 

  • 購入金額

    0円

  • 購入日

    2018年07月頃

  • 購入場所

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