世の中に溢れている「人工知能すごい!なんでもできる!」のような楽観的な話でもなく、「人工知能やばい!仕事なくなる!」みたいな悲観的な話でもなく、淡々と現状のディープラーニングや人工知能の限界や可能性を書いた書籍。
そもそも、「人工知能」という言葉に人工知能学会ですら正確な定義はなく、よって人工知能学者と言われる先生方の認識や定義もばらばらというところから始まる。これまた各先生の定義にかなり幅があり、なんでもありの人から、ディープラーニング使ってないと人工知能じゃないという硬派まで千差万別。そりゃ一般の方たちは混乱しますね。
印象に残った話として「説明責任が必要な分野にはディープラーニングは浸透しない」という話。しかも、2030年代の予想として。これは、以前羽生さんが「将棋の場合は、AIの手の意図を説明することを求められるかもしれません...」と言っていた話とリンクする。
つまり、人間はある程度論理的な説明がつかないと納得ができないと。これは受動的意識仮説の中でも言われている、「本当は後から適当に説明をつけるために自分で考えたように時間を捻じ曲げてる」という話に行き着くかな。どんな説明でもいいから、なんか納得したいのが人間の脳なのだと。
ただ、絶対計算が結局どんな専門家でも敵わないならば、2010年代に生まれたぐらいの子供は、2030年代ぐらいの未来には既にその状況に順応していて「人工知能がそう判断した」で説明は済んでしまうかもしれないと思った。
また、この著者一人である田中潤さんの「僕の中では、人工知能に自我があると無いとか、そういう話どうでもです」っていうところには強く共感。つまり、どうせ外部から観測できないし、他人に自我があるかどうかもわからんでしょ?ということ。
私は、受動意識仮説的な観点やシミュレーション仮説的な観点から「心」や「自我」がいつか人工知能(ディープラーニング)には生まれると考えてます。その方が面白い。
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購入金額
864円
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購入日
2018年04月03日
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