2025年に再び大阪で万国博覧会を開催しようという計画が持ち上がっているようです。
あと9年か、、。
1964年のオリンピック開催時は5歳だったので記憶にあります。
1970年の大阪万博開催時は小6。 学校からも地域の町内からも、友達同士でも。
183日の開催期間中に6〜7度訪れたと覚えています。
人生の中で万国博覧会もオリンピックも2度経験できるなら、幸せ。
なんて喋っていたら
家内が引き出しの中から「こんなのあるよ」って出してきてくれました。
USSR
アメリカはUSA。 ほならウサって読んでも良いんか?
ソ連はUSSRって云うんやで。
いやいや、CCCPちゃうんか? 生協ってCOOPっていうけど関係あるんか?
ソ連って、ソビエト連邦を縮めて言うてんの?
検索の手法も概念もなく、小学校の先生にしても頼りになるわけでもなく、小6はそんな話をしてました。
太陽の塔は今も残っていますし、その内部も再び観覧が出来るように再整備されるようです。
エアドームの魁となったアメリカ館
全部本物の木らしいで、と言われていましたが解体時にバレちゃったブリティッシュ・コロンビア館
古河パビリオンは七重塔だったような。
三菱未来館や東芝IHI館、スイス館やオーストラリア館も人気でした。
私は市外電話が無料でかけることができた電気通信館、端末を操作し二択を繰り返してマンガを作ってプリントアウトしてくれたIBM館(多分)のように参加型のパリビリオンと
マルチ画面、全天球画面で迫力映像が楽しめたみどり館やフジグループ館を何度も訪れた記憶があります。
月の石を見るだけのアメリカ館や、やはり展示中心のソビエト館は、待ち時間の長さも理由でしたが
一度も行きませんでした。
後にエキスポランドとして残った遊園地ゾーンだけを攻めた日もありました。
このソビエト館のピンバッチは、家内の親戚が大阪万博の関係者だったとのことで、子供の頃に貰ったものを残しておいてくれたものです。
私も桜の花弁を形どったシンボルマーク入りのショルダーバックや、各種パンフレット、人気があった太陽の塔のミニチュアなどを持っていましたが、もう何も残っておりません。
写真もほとんどないな〜。 そんな時代でした。
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購入金額
0円
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購入日
1970年頃
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購入場所
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