ファミコンが登場した当時の家庭用ゲーム業界は、アタリ「アタリ2600」、エポック社「カセットビジョン」、セガ「SG-1000」、トミー「ぴゅうた」などすでに10数種類のゲーム機がひしめきあう群雄割拠の時代だった。しかし後発(セガ「SG-1000」は同日の発売)であるファミコンはあっさりと主役の座を手にし、シェアを拡大していく。理由の一つとしては他社のゲーム機に比べ価格が圧倒的に安く、格段に性能が良かった事が挙げられる。一番のライバルとなったセガ「SG-1000」は15,000円と価格的にも実際の性能的にも肩を並べていたのだが、最終的にはその後にリリースされたソフトの数が両社の差を決定的にした。ソフトを自社だけでリリースしていたセガに対し、任天堂はアーケードゲームやパソコン用ゲームを作っていた多くのソフトメーカーに門戸を開いたのだ。その結果、84年にはハドソンとナムコが参入し、「ロードランナー」「ゼビウス」がそれぞれヒット。さらに85年以降はコナミ、スクエア、エニックス、カプコンなどアーケードゲームやパソコンゲーム界の雄が続々と参入する。こうしたソフト開発競争の中で次々とヒット作が誕生した事がファミコンをゲーム機の王様へと押し上げたのだ。「ドルアーガの塔」「スーパーマリオブラザーズ」「グラディウス」「ドラゴンクエスト」…などなど枚挙に暇もないが、これらの名作を自宅でやり込むためにファミコンを購入した人も少なくないだろう。
少年少女たちだけでなく、大のオトナも含めて世の中はファミコンブーム一色だったが、こうした風潮に当時の社会の風当たりは強かった。ちなみにファミコンの国内での最終的な販売台数は1935万台に対し、後に発売される携帯型ゲーム機であるゲームボーイが3240台以上、ニンテンドーDSシリーズが3280万台以上と、普及台数だけでいえば現在のゲーム機が大きく上回るのだが、当時はまだ家庭用ゲーム機に対する社会の免疫がなかったのだろう。特に学校関係者やPTAからは「視力が下がる」「教育上よくない」などとしばしばヤリ玉にあげられた。対して業界側もソフトの中にプレイ時間やTVとの距離についての注意書きを入れるなどして、そうした向きに配慮した。中でも有名なのは、子供たちから絶大な人気を集めていたファミコンブームの立役者の一人である高橋名人の「ゲームは1日1時間!」という標語だろう。当時、どのくらい高橋名人がカリスマ的人気を集めていたかは、彼を主人公にしたゲームが発売された事からもわかる。そんなミスターファミコン的存在だった彼だが、皮肉なことにファミコン最後のソフトは1994年6月24日に発売されたその4作目「高橋名人の冒険島Ⅳ」となる。ちなみにジグソーユーザーのもちものはMSX版のものだ。




