写真家ハービー・山口のフォトコラム 第一話

「この瞬間は二度とない」

恋 東京 2005
2005 TOKYO

 以前、知り合いのやっている写真のワークショップにゲスト講師として呼ばれた時のことである。参加者の多くが口をそろえて僕にある告白をしながら写真を提示した。「本当は人物を撮りたいんですけどね、街で見知らぬ人たちに声をかける勇気がなくて、それで友人たちを撮らせてもらっています。良い表情が撮れたと思っています。」 「私も人に声をかけられないので自分の家族を撮っています。」 ところが彼らの写真は一様になまぬるく、慣れきっている表情は見ていて退屈だった。

 いくら仲良くなっても、写真家と被写体との間には、目に見えぬある種の緊張感が細い糸の様に通っていなくてはならない。その緊張感が写真の力となって見る人を惹きつけるのだ。そして写真家は被写体に敬意を持たねばならない。見下げたり対等に思ってはならない。見上げるのだ。でないと被写体の良いところが写らないのだ。同時に撮らせていただくことへの感謝の念を持つことである。

PROFILE LONDON 1976
1976 LONDON

 先のワークショップでの写真には、慣れっこになり過ぎた末、この緊張感も感謝も敬意もが微塵も感じられなかった。結果として何が言いたいのかの主張がないし、必死さがない。友人たちや家族を撮ることは良いことだ。僕が顔見知りになったレストランのスタッフを撮るのも良いことだ。なぜなら彼らはカメラを受け入れてくれるありがたい存在の人達だし、素顔に迫れる絶好のチャンスを我々に与えてくれているからだ。

 では、なまぬるくならないためには、緊張感、感謝、敬意をもたせるためには、具体的に何をしたら良いのだろうか?僕の場合、慣れっこになっている人たちにカメラを向ける時、決まって思い描く筋書きがある。それは、「この瞬間は二度とない」と自分に思い聞かせることだ。そうすることにより緊張感、感謝、敬意が写真の中に生まれ、写真に力がつく結果になる。

 感謝、敬意、これは写真にとどまらず、どの世界にも共通する、我々が忘れてはならない大切なこころ遣いだと思う。