Zippo~ポケットの中の世界~

煙が目にしみる…

世界恐慌の暗い陰が未だ払拭しきれていない1933年の米国。禁酒法が解かれ、街はJAZZとバーボン、そして煙草の香りで満ちていた古きよき時代。ブロードウェイではジュローム・カーン作曲の「煙が目にしみる」が流行していた頃、「Zippo」はペンシルバニア州の小さな町でひっそりと誕生する。

ここ数年の嫌煙・分煙ブームは、健康上の理由やエチケットの面でも至極当然とは言え、愛煙家にとっては肩身が狭い、まさに煙が目にしみる状況だ。中には思い切って禁煙したって方も少なくなかろう。そうした世界的な嫌煙の流れにも関わらず、いまだに多くのファンから愛され続ける「Zippo」。わずか1500台の生産から始まったこのオイルライターは1996年時点で製造個数が3億個、2003年には4億個を突破し、近い将来5億個に届く勢いだ。

シンプルにして堅牢。強風の中でも炎が消えない抜群の耐風性。喫煙具として十分な機能を持っている事はもちろんだが、ファンから愛される理由はそれだけではない。今回はその魅力を少しだけ見てみよう。

ノベルティとして多様な世界を築く

成功する起業家に必要なのは奇抜な発明などではなく、優れた物に対する敏感なアンテナと、それを既存の技術に結びつけ付加価値を生むアイデア力であろう。「Zippo」の生みの親ジョージ・G・ブレイズデルはある日、パーティ会場で会った友人が両手を用いなくては火をつけられないオーストラリア製の扱いにくそうなオイルライターを使っているのを見る。彼は大いに友人を冷やかすが、友人は「火がつけばいいんだ」と返した。その言葉にブレイズデルは安くて性能が良く、丈夫で長持ちするライターは商売になるとひらめき、すぐさまそのライターの販売権を獲得する。彼はこのライターに使いやすいよう改良を加え、1933年に「Zippo」の最初のモデルを発売した。ちなみにこの時にブレイズデルが作ったライターの構造は、発売から約80年経つ現在も当時とほぼ変わっていない。

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こうして優れたオイルライターを開発したブレイズデルだが、真骨頂はここから。喫煙が盛んだった世の流れを読み、ライターの広告媒体としての可能性に気付いた彼は、「Zippo」をノベルティグッズとして利用するよう企業に売り込んでいく。今でいう企業のロゴ入り100円ライターの祖先と言っていいだろう。この戦略は見事に当たり、マルボロやキャメルなどのタバコ銘柄を始め、多くの企業のロゴの入った「Zippo」が作られる事となる。

ブライズデルが果たしてどこまでこの状況を予見していたかは分からないが、これまで作られた「Zippo」の約4割がこうしたノベルティ関連の物。このノベルティグッズ路線こそが多くの収集家たちを惹きつけ、そして「Zippo」のユニークで多様な世界を作りあげる事になる。収集家のコレクションもブランドやデザイン、希少性など、それぞれ重きを置く分野が分かれているのが面白い。

もう一つコレクターたちの心をくすぐる点は、ボディの形状や素材、ロゴが年代によって少しずつ異なるところだ。特に第2次世界大戦以前の各年代の「Zippo」は現存する数も少なく、ビンテージ物として人気を集めている。特に人気の高い年代の物はたびたび復刻モデルとして限定発売されたりもしているが、こちらも競争率はかなり高い。また、「Zippo」社の創業50周年以降、5年おきに出されているアニバーサリーモデルや、歴史的な出来事にちなんで発売される「Zippo」もコレクターであれば押さえておきたい一品だ。

zigsowユーザのもちもの
(zigsowユーザのみ観覧可能)

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(zigsowユーザのみ観覧可能)

 

兵士と共に歩んだZippoたち

「Zippo」の歴史を語る上で、外してはならないのが戦争との関わり。米国ではその堅固で、どんなタフな状況でも着火する性能を軍に認められ、第2次世界大戦では製品のすべてを軍へと供給した。以降も、朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争と数々の戦場を兵士と共に駆け抜け、多くのエピソードを産む事となる。“胸に当たった銃弾を「Zippo」が受け止め命拾いした”“後にピューリッツア賞を獲り、沖縄で戦死する従軍記者のアニー・パイルが「Zippo」の底に次の作戦地を書き下士官に知らせた”…など枚挙にいとまがない。また日本を始めとし、米軍が駐留した多くの国の国民からは、駐留する米兵が使う「Zippo」が『豊かで自由な国・アメリカ』の象徴のように映った事が、多くの国で広まっていった一因なのかもしれない。

こうした戦時下で使用された「Zippo」の中でも、第2次世界大戦中に兵士たちに使われた「ブラック・クラックル」を始め、ベトナム戦争下で使用された「ベトナムZippo」はコレクターの間でも人気の高いアイテムだ。ベトナム戦争自体、その始まりをいつとするかで意見が分かれるため、どこまでを「ベトナムZippo」と呼ぶかは諸説あるようだが、多くは次第に戦火が激しくなる1965年前後から米軍がベトナムより撤退する1973年前後に作られ、現地のPX(キャンプ内の購買部)で売られた物と思っていいのだそう。

zigsowユーザのもちもの (zigsowユーザのみ観覧可能)

ベトナム戦争当時、PXに入荷された「Zippo」は大変な人気を呼んだ。火を付け、金槌代わりに使え、軍用食を温め、暖をとる事もできる。ジャングルで戦う兵士にとって心強い味方だったのであろう。兵士たちの多くはそれをサイゴンのマーケットのベトナム人彫師たちの元に持ち込み、思い思いの言葉を刻んだ。自分の所属する部隊のエンブレムや好きな言葉、ポエム、信条、ジョーク、故郷へ置いてきた愛する人へのメッセージ…。やがて戦局が厳しくなるにつれ、そのメッセージは重く悲しく、シニカルになっていく。特にベトナム戦争後期の物には遠い母国で高まる反戦運動の機運も相まって、国のために戦う兵士としての自己の存在への疑問、ブラックなジョーク、平和への祈りなどが刻まれている事が多い。

こちらのzigsowユーザのもちもの(zigsowユーザのみ観覧可能)である「ベトナムZippo」は、ボトムの裏の刻印からすると戦況が徐々に激しくなっていく1968年製の物。激しい戦火をくぐり抜けてきた事を偲ばせる傷だらけのボディ。まさに「ベトナムZippo」ならではの風合いだ。刻まれた文字や描かれた絵を、当時の兵士たちの境遇に思いを馳せながら眺めると、実に味わい深いものがある。また「ベトナムZippo」には、その人気の高さゆえに贋物も数多く存在する。ボトムやインサイドユニット(ケースの中のボディ)のロゴや年代を表すコードに矛盾はないかなど、真偽を見分ける手段はいくつかあるが、その精度も以前に比べると格段にアップしてきているため、一見しただけでは判断が難しい。ただ、持ち主にとっても貴重な品物であるはずだから、あまりにも安い物はコピーと思って差し支えないだろう。

ここまで「Zippo」の魅力である多彩な世界をかいつまんで紹介してきた。そのデザイン性に加え、使い込まれる事によって生じる風合いや刻まれていく思いこそがこの「Zippo」の醍醐味だろう。さて、結びになってしまったが、もう一つ忘れてはいけない魅力がある。それは永久保証だ。表面のキズや摩耗は対象外だが、機能的な故障に関しては「Zippo」社へ送れば無償で修理してくれるのだ。しかも返送料も負担してくれる。これは創業以来続いているサービスであり、創業者ブレイズデルの製品に対する自信と誇りが伝わってくる。ちなみに「Zippo」社ではたとえペシャンコに潰れた物であっても同等の物に交換してくれるが、偽物の場合は修理せずに返送される。「Zippo」が「Zippo」たる所以がこんなところにも表れているのだ。