▲ガース・ノックス PROFILE
アイルランド生まれ。ロンドン王立音楽院に学び、ヴィオラ奏者としてキャリアをスタートし、バロックから現代まで幅広いレパートリーをこなす。1983年ピエール・ブーレーズ率いるアンサンブル・アンテルコンテンポランで、90年からはアルディッティ・カルテットで活躍。98年にはソロ活動をはじめ、多くの現代作曲家の作品を初演。ヴィオラ・ダモーレによる新しい音楽にも積極的に取り組んでいる。現在パリを拠点に世界中で演奏活動を行っている。
■zigsow編集部 本日はお忙しい中ありがとうございます。昨晩がコンサート初日だったそうですね。
▼ガース・ノックスさん ええ、私はチューバとヴィオラの曲で聖書の話「ヨナとくじら(※1)」でヴィオラを演奏しました。ヨナのパートをヴィオラ、くじらをチューバが演じて、ヨナがどうやってくじらに飲まれていくのかを表現した曲です。昨日はヴィオラ・ダモーレの演奏はしませんでしたが、今晩オーケストラとヴィヴァルディの作品を演奏する予定です。
■- 今日初めてヴィオラ・ダモーレという楽器を間近で拝見しましたが、なかなか見る機会の少ない楽器ですよね。
▼ノックスさん そうですね、多くの方が目にしたことのない楽器だと思います。私が使っているこちらは最近作られたものですが、ヴィオラ・ダモーレという楽器は17世紀から演奏されていました。
ヴィオラ・ダ・ガンバ(※2)と似た形状をしていますが、ヴィオラ・ダ・ガンバが足に挟んで演奏するのに対し、ヴィオラ・ダモーレはヴァイオリンのように肩に乗せて演奏します。
ヴィオラ・ダ・ガンバの特徴は、楽器の裏面が平らであること、楽器の形状がなで肩であること、フレットがあることなどですが、ヴィオラ・ダモーレもこのような特徴を受け継いでおり、裏面が平らで形がなで肩ですね。それから、表面に開いている穴がヴァイオリンのように「f」ではなく炎の形をしています。
ヴィオラ・ダモーレの一番大きな特徴は、実際に演奏するための弦が7弦と、共鳴させるためだけに存在する弦が7弦あるという点です。そのため演奏時に弦を抑えて響きを止めても残響が残るような作りになっています。『ヴィオラ・ダモーレ』という名称ですが「ムーア人のヴィオラ」という意味で、アラブからヨーロッパに来たのではないかとも言われています。
■- ヴィオラ・ダモーレが生まれた歴史を探ると、どのような背景があるのでしょうか。
▼ノックスさん 17世紀当時はヴィオラ・ダ・ガンバのレパートリーが非常にたくさんありました。そのレパートリーをヴァイオリンのように活用できないか、というところから着想され生まれた楽器ではないかと思っています。事実、ヴァイオリンとガンバ、両方の特性を活かした楽器としてメロディーとハーモニーをどちらも扱うことができるのです。
ヴィヴァルディが生きていた時代に出来たということもあり、彼はこの楽器のために様々な曲を残しましたし、バッハも何曲かこの楽器のために曲を残しています。やはり楽器があって、楽器の特性を生かして曲が生まれ、曲があるからこそ楽器も進化してきたということだと思います。
■- 今回発売したアルバム「D'Amore」のライナーノーツの中で「この複合型の楽器が17世紀に発明されたのは、複数弦の伴奏の要らない楽器をほしいと思ったヴァイオリン奏者やヴィオラ奏者の、ある種の嫉妬のような感情が関係しているのではないか」と語られているのを非常に興味深く拝見しました。
▼ノックスさん ガンバであればハーモニーを扱えるのですが、ヴァイオリンやヴィオラはメロディーしか扱えない。例えばバッハのソナタでハーモニーを奏でようとすると四人の奏者が必要になるところをガンバでは一本の楽器で演奏することが出来ます。そこに着目したヴァイオリン奏者がひとりでメロディーとハーモニーを扱おうとしてヴィオラ・ダモーレを発明したのではないかと思っています。
■- ヴァイオリンやヴィオラの演奏の可能性を広げるために生まれたのですね。
▼ノックスさん そうですね、ヴィオラ・ダモーレはガンバの形を模して作られました。残響用の弦がどのような経緯で登場したのかというのは謎ですが、不思議なことにインドとイギリスで同時期に残響用の弦を用いた楽器が登場しています。恐らく文化的な交流があったインドから、誰かがイギリスに共鳴弦のアイデアを持ち込んだのではないかと言われていますが、共鳴弦がどちらの国で最初に出現したのかは定かではありません。
また初期のヴィオラ・ダモーレは共鳴弦がなく、後にイギリスでこの共鳴弦が付けられました。その後ドイツなどヨーロッパ全土に共鳴弦付きのヴィオラ・ダモーレが普及したようです。
■- 誕生の真相については謎に包まれていると・・・。
▼ノックスさん ええ、謎ですね。一説によるとヴィオラ・ダモーレには「愛のヴィオラ」という意味があるとも言われていますから、愛のミステリーですね(笑)
■- 現代では聴く機会が少なくなってしまったのは、何か理由があるのでしょうか。
▼ノックスさん ヴィオラ・ダモーレが演奏機会の少ない楽器になった一番の理由は、一つの調に調弦をすると他の調に転調が出来ないということです。この楽器が登場したヴィヴァルディの時代では、楽曲の初めから最後まで同じ調で演奏することが普通でした。しかし、その後のハイドンやモーツァルトの時代になり、曲の中で転調が行われる楽曲が登場するとヴィオラ・ダモーレでは対応が困難なのです。ひとつの調性の中で弾かれる曲では、これ以上ない効果をもたらす楽器ですが、逆にそれが弱点ともなったのだと思います。
■- 世界中でヴィオラ・ダモーレ奏者は何人いるのでしょうか。
▼ノックスさん 現在数人の方が演奏活動をされています。最近はバロック音楽の研究が進んでおり、実際に当時の演奏を再現するためにも最適な楽器なので、興味を持ってくださる方は増えてきています。この楽器を使って当時の音楽を再現するのはもちろん興味深いことですが、私はむしろ、何か新しい事ができるのではないかと非常に興味をもっています。
■- ヴィオラ・ダモーレの奏法や楽譜は今の時代に受け継がれているのでしょうか?
▼ノックスさん この楽器を始めた際に2冊の教則本を見つけました。どちらも18世紀に書かれたものでドイツとフランスのものです。ドイツの教則本は二百ページに渡りやるべきことが一日単位で事細かに記載されており、最初の数ページを読んだだけでげんなりしてしまいました。それに比べてフランスの教則本は、この楽器がいかに素晴らしいかということの説明や簡単な練習曲などで構成されており、これは私向きだと思いました(笑)
ヴァイオリンなど既に奏法が確立された楽器の場合、しなければいけないこと、やってはいけないことなど非常に多くの制約があります。しかし、この楽器は誰も何が正しいかを指示することが出来ないので、自分で楽器と向き合って、独創性や可能性などクリエイティブな部分を引き出してくれるという意味でも非常に気にいっています。既に確立されたものや、誰かがやってきたことをなぞるのではなく、自分なりに新しいことを探求していくということが好きなので、そういうことが言えるのでしょう。
■- 演奏する際に一番大切なことは何でしょうか。
▼ノックスさん 一番大切なことは「楽器自体に歌わせる」ことです。楽器自体が素晴らしい残響効果を持っていますので、演奏していると実際に耳の近くに大聖堂があるような感覚になることがよくあります。自分がこの楽器を演奏していて本当に美しいなと思う瞬間は、自分が弾くのを止めた後に、楽器が静かに歌っている時です。
■- 対話をするような感覚ですね…
ところで、楽器に付いているストラップは何でしょうか?
▼ノックスさん このストラップは私が発明したものです。ヴァイオリンのように顎で楽器を押さえた場合、楽器の響きを止めてしまいますが、このストラップの一方の端を楽器に、もう一方を腰に固定して使うことで、楽器のネックの部分を指で支えているだけの状態にすることができ、自然に音が反響するようになります。また、肩当て(※3)を使わないことで、響きを殺さない効果があります。
■- この楽器の一番の魅力を教えてください。
▼ノックスさん 美しい残響音、魔法のようなハーモニーを奏でること、宇宙全体にある響きをひとつの楽器で体現できる楽器であるという事です。ヴィオラ・ダモーレは、そこに存在するものを豊かに響かせる楽器だと私は思います。
■- これまでもアルディッティ・カルテット(※4)などでヴィオラ奏者として活躍されていたノックスさんですが、音楽、楽器との出会いについて聞かせてください。
▼ノックスさん 小さい頃はヴァイオリンをやっていました。姉二人がヴィオラで、兄がチェロでした。姉の演奏するヴィオラにずっと憧れていたのですが、子供にはヴィオラは大きすぎ、11歳になるまではヴァイオリンを弾いていました。毎年クリスマスにはモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークを家族で演奏するのが恒例だったのですが、自分の技量が上がるにつれ家族とのアンサンブルは耐えられないものになって行きましたので、今でもアイネ・クライネ・ナハトムジークを耳にするとトラウマが蘇ります(笑)
■-
常に生活の中に音楽があったのですね。
ヴィオラ・ダモーレ奏者となったのはいつ頃でしょうか。
▼ノックスさん アンサンブルの一部になるのも楽しいのですが、私は楽器そのものの個性を追求したいという思いが強くありました。ヴィオラのソロ曲が豊富な現代音楽を中心に演奏してきたアルディッティ時代に、ヴィオラ・ダモーレを所有していた友人からこの楽器を借りたことがきっかけです。非常に興味をもったのですが、当時は忙しすぎて深く入り込むことが出来なかったのですが、10年前にアルディッティ・カルテットを離れた際に、ヴィオラ・ダモーレのことを思い出し、以来ずっとこの楽器にのめりこんでいます。この楽器に恋をしてしまったのかもしれません。
Peter Ruzicka
String Quartets
ECM New Series 1694
Frode Haltli
Passing Images
ECM 1913
■- 今回リリースされたアルバムについて紹介をお願いします。
▼ノックスさん このアルバムでは、古典と現代音楽と自分のルーツであるケルトの音楽を織り交ぜ、今までに無かった楽器の可能性を追求した曲を取り上げました。ヴィオラ・ダモーレは色々な可能性を秘めた楽器であり、実はバグパイプ(※5)に通じるような音色も出すこともできるので、ケルトの音楽と相性が良いのではないかと思ったのです。
■- アルバムの冒頭「Malor me bat」はご自身で作曲されていますが、どのようなメッセージが込められているのでしょうか。
▼ノックスさん これは、ヨハネス・オケゲム(※6)の非常に美しい曲をモチーフに作曲をしました。以前からこの曲を使って何かをしたいと思っていたのですが、ヴィオラ・ダモーレという楽器に出会い、まさしくこの曲に相応しいと思い創り出した楽曲です。
■- まさしく古楽と現代音楽を融合させるクリエイティブな試みをされているのですね。最後に音楽に親しむための何かアドバイスをいただけますか。
▼ノックスさん そうですね…CDではなく、まずはコンサートに足を運んでいただくのが一番だと思います。特に現代音楽は、演奏者の表情なジェスチャーなどの動きを多用し、音と表現方法が一体となったアートですので、そこに楽しみを見出していただくのが良いと思います。
百人超のオーケストラで演奏されるような大規模な作品も素晴らしいですが、私は二人や三人で奏でられる小編成のものをお勧めします。演奏者の間に流れる緊密でデリケートな空気感のようなものを味わえるのは、小編成のものだと思いますので。
■- 同じ空気を感じる距離で楽しむのが一番なのですね。本日はありがとうございました。