写真家ハービー・山口のフォトコラム 第三話

ライカ再び

数日後、ヨーガンから僕に一通のメールが届いた。

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Dear, Herbivore
君と30年振りに連絡が取れるとは全く驚いた。
写真集をありがとう。
何枚かのスマッシュカットがあった!良いじゃないか!
QUALITY OF LIFEのメンバーの何人かは残念だが消えてしまったようだ。
君がまだ写真を精力的に続けていてとても嬉しく思うよ!
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このメール以来、彼と僕との連絡は続くことになり、数ヵ月後、分厚いハードカバーの立派な写真集が送られてきた。僕のエッセイが写真集の中程2ページにわたり掲載されていた。

Dinner Hall LONDON 1986
1986 LONDON

もうすぐ80歳になろうとする彼だが、いまだ現役の写真家なのだ。そんな彼の意気込みに僕は少なからず勇気付けられた。

1975年、彼が僕の写真を気に入ってくれたことがきっかけとなり、メンバー全員と協議の上、僕をグループの一員として迎えてくれた。もしもQUALITY OF LIFEに参加することがなかったら、今の僕が決してないのは明白だ。きっとロンドンで仲間も得られず、滞在ビザも伸ばせず、極貧生活をしていた僕はフィルムも印画紙も買うことができず、意思半ばにして帰国を余儀なくされたであろうことが容易に想像できる。スポンサーに支えられた彼らのグループに入ることができたから、無料でみんなと一緒の倉庫に住め、必要なものを自由に使うことができた。ビザを延長する際も、QUALITY OF LIFEでの活動が最大の滞在延長の理由になった。

Debby's daydream LONDON 1974
1974 LONDON

ヨーガンのために僕が今できることがある。日本で写真展を開く希望があるヨーガンに、今度は僕が恩返しをする番だ。さっそく届いた写真集を持って、ギャラリーと写真雑誌社を訪ねた。目黒にあるブリッツギャラリーで、僕との2人展の開催が2009年12月~2010年2月にかけて決定し、アサヒカメラは、数ページにわたり彼の写真を掲載してくれることになった。このことを彼に報告すると、大変喜んでくれた。

思えば1973年ロンドンで始まった僕の写真家になるための旅は、途中ヨーガンや多くのイギリス人写真家に出会い、ライカを知り、2009年の今もなお、その旅の行程は未来に向かって続いている。それはヨーガンにとっても同じだ。彼はライカ片手に、写真家としての長い旅路を、現在も確実に追い続けているのである。