ライカ黒塗りの世界

黒塗りに魅せられて

ライカのブラックペイントほど、私の心を踊らせてくれるカメラは無い。そういう存在になるとは、手に入れるまでは夢にも思わなかった。触れて、使って、初めてその良さが理解できる。それがライカのブラックペイントだ。今回は、そのブラックペイントについて大いに語らせていただこう。

ブラックペイントの一番の魅力は、何と言っても色にある。他の多くのライカが、シルバークロームの上品な面持ちであるのに対し、ブラックペイントは非常に攻撃的な雰囲気を漂わせている。使っていくうちに塗装が剥がれて、真鍮が剥き出しになっていくのも独特だ。漆黒のボディと、擦れて剥き出しになった金色との組み合わせは大変に格好良い。

ブラックペイントは、シャッター音も美しい。クロームモデルのシャッター音が、精密さを感じさせる若干金属的な音であるのに対し、ブラックペイントは独特の倍音を伴った美しい響きを聴かせてくれる。とりわけ中低速シャッターの響きの優雅さには、神々しさすら感じる。

ここまで書いて再認識した。やはり、私は、病的にライカのブラックペイントを愛しているようだ。これほどまでに、私を夢中にさせるブラックペイントとは、いったい何なのだろうか。以降は、ブラックペイントの歴史と、それぞれの特徴について記していこう。

黒塗りの系譜

1913年、後に伝説となるカメラがひっそりと誕生した。それは黒塗りの金属製暗箱にレンズと直視ファインダーを取り付けた、簡素なカメラであった。それが、まさか35mmフィルムカメラの元祖となろうとは誰が考えたであろう。

そのカメラは、およそ10年の雌伏の時を経て「ライカ(= ライツ社のカメラ)」と命名され、発売された。伝説の始まりである。

最初に発売されたライカ1型は、美しいブラックペイントが施された精悍な顔立ちのカメラであった。小型軽量で機動性に優れるライカは、たちまちプロの報道カメラマンやアマチュア写真家の心を掴んだ。それは、この先ライカが多くの歴史的瞬間に立ち会うことを意味した。

その後、ライカは市場のニーズを汲み取りながら、レンズ交換機構やレンジファインダー機構などいくつもの改良が加えられ、様々なバリエーションモデルを展開していった。当初ブラックペイントから始まった外観も、売れ行きや顧客からの評判であろうか、2型から3型へと世代を経ていくにつれ、銀色クロームメッキへとシフトしていき、一時的にではあるが、ブラックペイントが市場から姿を消すことになる。

ライツ社はライカ1型発売から30年の歳月を経た1954年に、ついに、レンジファインダーカメラの最高傑作「M3」を作り上げた。M3の精密で堅牢なつくりは、多くのカメラマンに支持されることとなり、ライカはコンパクトカメラ市場における確固たる地位を築き上げた。ここにきてライツ社は、プロフェッショナル仕様として、ブラックペイントを再びラインナップさせることになる。

以降は、M3の兄弟機である「M2」、そして後継機である「M4」においても、ブラックペイントを少量ながら生産していった。

M型ブラックペイント

M3は、これまで作られてきたバルナック型ライカ(※1)とは全く違う新設計のライカとして誕生した。おそらく、ライツ社はバルナック型ライカを再設計していく従来の手法に限界を感じたからであろう。

まず、レンズマウントを従来のスクリュー式からバヨネット式に変更して、レンズ交換を迅速に行えるようにした。それから、フィルム巻き上げを回転式からレバー式に変更し、撮影動作そのものを高速化した。前期型のM3は、このレバー操作を2回行ってフィルム巻き上げるため、ダブルストロークモデルと呼ばれる。後期型は1回のレバー操作で巻き上げが行える。当時のライツ社は、巻き上げ操作の改造をユーザーから公式に受け付けており、多くの前期型がシングルストロークに改造された。実用上はシングルストロークの方が使いやすいのであろうが、熱心なM3愛好家はダブルストロークを信奉してやまない。

ファインダー機構にも大きな改良が加えられた。それまで50mmレンズの視野枠にしか対応していなかった内蔵ファインダーは、50mm、90mm、135mmに対応した。独立していた測距ファインダーとフレームファインダーが一体化され、そこに採光式のブライトフレームを組み合わせて、明るさと見やすさを大幅に向上させた。さらには、レンジファインダーカメラの泣き所であるパララックス(※2)を自動的に補正するという極めて高度な機能をファインダーに盛り込んだ。M3はレンジファインダーカメラが抱えていた問題点を、ほとんど解決してしまったのだ。21世紀の今日においても、これほど高性能なファインダーは存在しないであろう。

当時、M3のあまりの高性能ぶりに、多くのカメラメーカーはレンジファインダーの開発を諦めて、一眼レフの開発へと移行してしまった。あのカール・ツァイス(※3)でさえ例外ではなく、M3登場から程なくして35mmフィルムカメラ事業から撤退してしまった。M3の登場はライカの歴史においても、カメラ史においても、最も大きな出来事のひとつであった。

M3は1954年の登場(製造番号700000番)から1968年の製造完了までに、20万台以上が製造された。高級カメラとしては異例の大成功であっただろう。しかし、M3ブラックペイントは、わずか1300台しか製造されなかった。

M3ブラックペイントの製造開始は意外に遅く、M3の登場から5年も経過していた。製造番号は959401番から始まり115万番台まで続いている。その間に、毎年100台から300台程度の少数ロットで製造されていたようだ。プロフェッショナル色の強いカメラのため、使い潰された個体も多く、市場に流通する数は少ない。

初期のM3ブラックペイントは、ストラップのつり輪まで黒塗りが施されていた。さらに、黒塗りで三角形のつり輪が付いた最初期のM3ブラックペイントは、ごく一部の特殊モデルを除けば、M型ライカの中で最も稀少価値が高い。

(※1)ライカの生みの親であるオスカー・バルナック氏にちなんで、M型以前のライカをこう呼ぶ。
(※2)三角測量を行う測距レンズと、実際に像が投影される撮影レンズとの視差。
(※3)1846年創業。光学機器メーカーの最大手。


M3の次に登場したM2は、広角レンズ使いに人気のモデルだ。M2は、M3のジュニアモデルとして発売されたため、いくつかの機能が変更されている。

特に大きな変更点は、内蔵ファインダーの仕様だ。M3よりファインダーの倍率を下げて、視野枠を35mm、50mm、90mm対応に変更した。これにより、135mmフレームは失ったものの、35mmフレームが新たに加わったため、M2はスナップ撮影に使いやすいカメラとなった。M2のファインダーは、M3のものより簡素化されたものであるが、十分に高い光学性能を有するため、実用上の差はあまりない。

M2のファインダーにはM3より優れた点がある。M3のファインダーには常に50mmの視野枠が表示されているため、50mm以外のレンズを使用すると2つの視野枠が表示されてしまう。これに対し、M2のファインダーは装着したレンズの視野枠しか表示されないため、大変スッキリとして見やすい。

他の変更点では、M3では自動復元式であったフィルムカウンターが手動式になった。これは明らかにコストダウンのためであろう。M3に標準装備されていたセルフタイマーも発売当初のM2には付いていなかった。その後、顧客からの要望であろうか、時折セルフタイマー付きのM2が製造されるようになった。また、フィルム巻き戻し解除が、初期はボタン式であったのに対し、後期はレバー式となった。初期のボタン式は見た目も愛らしく人気が高い。

M2は1957年(製造番号926001番)から1968年の製造完了までに8万5千台以上が製造された。しかしながら、M2ブラックペイントは、わずか2400台しか製造されなかったうえに、M3ブラックペイントと同様に、プロカメラマンに使い潰された個体が多く、こちらも現存数は少ない。

M2ブラックペイントの製造番号は948601番から始まっており、M3ブラックペイントよりも番号が古い。仮に番号通りに製造されていたのならば、M3ブラックペイントよりも先にM2ブラックペイントが少数存在していたことになる。本来はM3のブラックペイントに古い製造番号が与えられて然るべきであろう。そのため、94万番台のM2ブラックペイントは、「奇跡のブラックペイント」としてコレクターの間で珍重されている。

また、M3と同様にM2ブラックペイントの前期型にも、つり輪に黒塗りが施されている。他にも、セルフタイマーの有無など、様々なバリエーションが存在する。


3つめに紹介するM4は、M3とM2の開発で培った様々な経験や、顧客からの要望を基に、「撮る」ことをひたすら追求した、最も実戦向きのライカだ。

ファインダーはM2をベースに改良され、視野枠は35mm、50mm、90mm、135mmの焦点距離に対応した。35mmと135mmは同一フレームに表示される。これにより、M4以降のライカは広角から望遠レンズまで幅広く使えるようになった。

巻き上げレバーにも改良が施され、従来の湾曲した1軸レバーから、角型の2軸レバーに変更されて、さらにスムーズな巻き上げが可能となった。巻き上げ終えたレバー先端は、撮影の妨げにならない絶妙な位置で止まってくれ、シャッターを切った後の再巻き上げを、まるでカメラが促してくれるかのようだ。これほど自然に撮影をアシストしてくれる機械式カメラが他にあるだろうか。

M4はフィルムの出し入れも素早く行えるように改良され、従来の取り外し式のスプールから、ラピッドローディングと呼ばれるカメラ固定のスプールに変更、フィルム装填時間が大幅に短縮された。また、フィルムの巻き戻しも、ノブからクランクに変更となり、回し易いように角度も付けられた。これらの改良により、ライカのウィークポイントであったフィルム周りの取り回しは劇的に改善された。

機能美の塊ともいえるM4のデザインは、発売から40年以上を経た現在も、微塵の古さも感じさせない。それどころか、機械として成熟しきった、ある種の貫禄すら漂わせている。デジタル機を含むM6以降の近代M型ライカは、全てM4をベースに作られている。

M4は一眼レフ全盛の1960年代中盤から、約10年に渡り5万8千台程度が製造された。時代背景からしても、先代のM3やM2に比べて、商業的に苦戦を強いられたであろうことは想像に難くない。

M4ブラックのバリエーションは、M3やM2とは少々違い、前期型がブラックペイントであるのに対し、M5発売以降に製造された後期型はブラッククローム仕上げである。前期型のブラックペイントは塗装の質も高く、「ぬらっ」とした独特のエナメル質の光沢が美しい。M3やM2のブラックペイントに見られた激しく色落ちした個体も少ない。ブラッククロームは色落ちの心配は少ないが、人気はブラックペイントの方が高いようだ。M4ブラック仕様は、M3やM2に比べればタマ数が多く、状態の良い個体も入手し易い。

デジタル全盛の今

撮影の主流がフィルムからデジタルに変わったことで、2006年、ついにライカ社もM型ライカ初のデジタル機M8を発売した。ライカのデジタル路線への歩みはさらに速度を増して、現在はフルサイズ撮像素子(35mmフィルム相当)のM9へと進化を遂げている。これらのデジタル機にも、ライカのDNAは確実に受け継がれており、なおも多くのファンに愛され続けている。

デジタル全盛の時代であるが、旧来のフィルムライカとて健在だ。少なくなったとはいえ、フィルムは十分な量が生産されており、現像やプリントの専門業者も多く残っている。メンテナンス体制も万全で、ライカジャパンでは、ドイツ本国でトレーニングを受けた熟練の職人がライカの修理を行ってくれる。その他にも各地に修理専門業者が存在し、どんなライカであろうと大抵の場合は修理してくれる。なによりも嬉しいのは、修理に携わる職人の誰もが、私と同じようにライカを愛していることだ。そんな方々に支えられながら、旧世紀のライカも、まだまだ現役として活躍し続けてくれるだろう。

「選ぶ」「探す」「使いこなす」。一台のライカに出会うためのプロセスから始まり、実際に手に入れた後も長きに渡って、あるいは世代を超えて納得できるもの。撮る楽しみだけにとどまらず、持っているということ自体にワクワクする気持ちを持てるもの。これこそがライカの本質であり、懐の深さである。

※撮影機材
・カメラ:LEICA M9 ・レンズ:VISOFLEX 3 + ELMAR 65mm