PDAの進化のゆくえ
~時代を切り開いた栄光なき天才たち~

忘れ去られた携帯情報端末

iPhoneやAndroidなど、巷ではスマートフォン旋風が続いている。統計的には5人に1人がスマートフォンを持っている計算になり、2015年には2人に1人が持つようになるともいわれている。わずか5年ほど前に誕生したスマートフォンの台頭を、急激な成長と見る向きもあるが、その素地は1990年代半ばにはすでにあった。住所録やメモ、スケジューラーなど様々な機能を有し、携帯性に優れた小型機器、PDA(=Personal Digital Assistant、携帯情報端末 )の存在だ。

日本国内においてはi-modeやEZwebなど各キャリアが管理するウェブページが閲覧できる携帯電話、いわゆる『ガラケー』の存在があまりにも大きかったため、その陰に隠れてしまった感はある。だが、根っからのガジェット好きやビジネスマンたちからは、PDAの機能や利便性は高く評価されていた。かつて、携帯電話先進国であった日本の各キャリアやメーカーが、PDAの魅力をなぜ携帯電話にいち早く取り入れる事が出来なかったのかはまた稿を改めるとして、ここではPDAの進化の系譜を追ってみることにしよう。

すべては電卓から始まった


SHARP PC-1245(自由さんのもちもの)

SHARP PC-G811(ふっけんさんのもちもの)

 

1960年代から70年代にかけて、国内メーカーの間では電卓戦争と呼ばれる激しい技術競争が行われた。その間、電卓の小型化や高性能化、低価格化は進み、1980年代に入る頃には、電卓は誰もが気軽に利用できるビジネスマン必携のツールとして広まっていた。当時、国内の電卓市場を二分していたのはCASIOとシャープだったが、両社はコモディティ化した電卓に付加価値を付けようと、それまでに無い機能を備えた製品を開発する。シャープが80年にリリースしたポケットコンピュータPC-1210だ。4ビットCPU、動作クロックは256KHzでメモリは1KB。画面は24文字の1行しか表示できなかったが、計算機機としての機能のほかにBASICを使った簡単なプログラムを作ることができた。このPC-1200シリーズを皮切りに、シャープは数多くのポケコンを世に送り出す。

対するCASIOは同じ年、ゲーム電卓MG-880を発売。形状は通常の薄型電卓で、ゲームの内容は飛んでくる数字のインベーダーを打ち落とすという簡素な物だったが、仕事の合間の退屈しのぎにはピッタリだった。また翌年にはポケットコンピュータFX-702Pと記録用マイクロカセット、放電プリンターがセットになったFX-801Pを発売。メモリは2KB、20桁1行表示。こちらもBASICでプログラムを作成できた。


CASIO FX-702P(zigsowユーザーのもちもの)

そしてCASIOは83年に電卓の発展形、国内初の電子手帳PF-3000を開発する。計算機能の他に電話帳、メモ、スケジュールなどの機能を搭載。革新的な性能は大いに注目を集めた。それに遅れること4年、シャープも漢字表示が可能になった電子手帳PA-7000を発売。メモや住所録など基本的な機能に、別売りのソフトウェアICカードを挿入することで、和英辞書や漢字辞書、占い、表計算など様々な機能を利用することができた。これらの電子手帳はそれまでシステム手帳を愛用していたビジネスマンたちからの支持を集め、その後も続々と後継機が登場し性能も向上していく。まさにPDAの夜明けが来ようとしていた。