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歴史から消された邪馬台国の謎 (PLAY BOOKS INTELLIGENCE 122) 新書 – 2005/7/2
豊田有恒
(著)
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社青春出版社
- 発売日2005/7/2
- ISBN-104413041224
- ISBN-13978-4413041225
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
勉強不足で全く知らなかったのだが、我々が魏志倭人伝として親しんでいる書物は、正確にいうのであれば、「魏志東夷伝『倭人の章』」という名称が適当らしい。そう、倭人の章のほかに、他の東夷たちの記述も残っているのだ。作者は他の東夷たちの記述も熟読することで、東アジアの中での邪馬台国を考えようという姿勢をとっている。今まで、そのような邪馬台国本を読んだことがなかったので、とても新鮮に感じた。まさに知識を得る喜びと興奮を味わうことができた。さらに、「魏志倭人伝は実地検分も行っていない編者が適当に書いた書物」という評価がいかに誤ったものかということも痛感させられた。これだけの真摯な思いで与えられた仕事に取り組んでいる人が、適当なことを書くはずがない、という気持ちになってくる。理想の成果を上げようと頑張る姿は、今も当時も変わらない人の営みなのだろう。とにかく、読んでいて本当にワクワクした。ちなみに、本書で初めて作者は邪馬台国の場所を明言している。今までは、その点については口を閉ざしていたのだが、ついに、という感じである。
2010年10月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とかく魏志倭人伝だけに基づいて論じれられる事の多い倭人(邪馬台国)論を、魏志に載せられている他の東夷伝(夫余、高句麗など)を俎上に乗せる事によって、当時の北東アジア情勢を総合的に判断するという視点で論じたもの。発想は面白いと思う。倭人伝以外の東夷伝が現代語訳されて記載されているのも貴重である。著者の陳寿の立場から、魏志倭人伝の記述の不正確さは必然だが、魏志倭人伝中に出て来る国名、官命、風習などを他の東夷伝と比較すれば、陳寿が倭国をどのように見ていたかが少しは分かると私も前々から考えていた。
しかし結果的に見ると、伽耶地方と倭国の密接な関係を示しただけで、従来説を覆したという程のインパクトは受けなかった。他の東夷伝を活かしているという印象も余り受けなかった。それより著者が気に掛けていない点で、個々の東夷伝中に面白い記述があった。一番は、現在の沿海州に当たる「ゆう婁」に対するもので、「夏は裸」とあった。幾ら何でも、夏とは言え裸で過ごせる緯度ではない。陳寿の東夷に関する把握度が分かる。私は昔から、 倭人伝中の文身を初めとする風習が南方寄りに偏向しているように感じていた。フィリピンか中国の南東海岸部のようなのである。陳寿の頭には、倭国というものは朝鮮半島の南に南北に広がる島国というイメージがあったのではないか(既存説)。
私は大和朝廷の母体は北九州にあったと考えているが、陳寿の記した邪馬台国が何処にあったかは分からないと思っている。本書の後半で出て来る韓国の「三国史記」以下についても解釈だけの問題であり、説得力に欠ける。北東アジア情勢を総合的に判断するという視点は良いとして、騎馬民族征服説に影響され過ぎているように思われた。もっと広量な姿勢で臨めば、更に興味深い結果が得られたと思う。
しかし結果的に見ると、伽耶地方と倭国の密接な関係を示しただけで、従来説を覆したという程のインパクトは受けなかった。他の東夷伝を活かしているという印象も余り受けなかった。それより著者が気に掛けていない点で、個々の東夷伝中に面白い記述があった。一番は、現在の沿海州に当たる「ゆう婁」に対するもので、「夏は裸」とあった。幾ら何でも、夏とは言え裸で過ごせる緯度ではない。陳寿の東夷に関する把握度が分かる。私は昔から、 倭人伝中の文身を初めとする風習が南方寄りに偏向しているように感じていた。フィリピンか中国の南東海岸部のようなのである。陳寿の頭には、倭国というものは朝鮮半島の南に南北に広がる島国というイメージがあったのではないか(既存説)。
私は大和朝廷の母体は北九州にあったと考えているが、陳寿の記した邪馬台国が何処にあったかは分からないと思っている。本書の後半で出て来る韓国の「三国史記」以下についても解釈だけの問題であり、説得力に欠ける。北東アジア情勢を総合的に判断するという視点は良いとして、騎馬民族征服説に影響され過ぎているように思われた。もっと広量な姿勢で臨めば、更に興味深い結果が得られたと思う。
2011年11月1日に日本でレビュー済み
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魏志倭人伝の記述自体から、邪馬台国を読みとる試みは多くなされてきた。
この書では、「同倭人伝」が書かれた頃の、北東アジア情勢(魏・呉・蜀の三国関係、朝鮮半島の状況、半島北辺の扶余族、鮮卑族、烏丸族などとの関わり)を踏まえて、「倭」の代表としての「邪馬台国」を解説しているので、「同倭人伝」記述への理解が深まるし、「魏」が、「倭・邪馬台国」に対して、他の周辺諸国・部族に比べて、飛び抜けて高く処遇していることもよく理解できた。
「魏志倭人伝」の記載をそのまま、うのみには出来ないかもしれないが、邪馬台国や「倭」の実情を読み解く史料として、決して、軽んずることは出来ない、との読後感である。日本書紀や古事記には、邪馬台国乃至それに対応する「勢力」(国や部族)の、明瞭な記載はないが、紀元後三世紀頃とされる畿内・大和政権成立過程を考える上で、同時期に北九州?に想定されている「邪馬台国」との関わりは、歴史学的考察で、無視され得ないと、感じられた。
この書では、「同倭人伝」が書かれた頃の、北東アジア情勢(魏・呉・蜀の三国関係、朝鮮半島の状況、半島北辺の扶余族、鮮卑族、烏丸族などとの関わり)を踏まえて、「倭」の代表としての「邪馬台国」を解説しているので、「同倭人伝」記述への理解が深まるし、「魏」が、「倭・邪馬台国」に対して、他の周辺諸国・部族に比べて、飛び抜けて高く処遇していることもよく理解できた。
「魏志倭人伝」の記載をそのまま、うのみには出来ないかもしれないが、邪馬台国や「倭」の実情を読み解く史料として、決して、軽んずることは出来ない、との読後感である。日本書紀や古事記には、邪馬台国乃至それに対応する「勢力」(国や部族)の、明瞭な記載はないが、紀元後三世紀頃とされる畿内・大和政権成立過程を考える上で、同時期に北九州?に想定されている「邪馬台国」との関わりは、歴史学的考察で、無視され得ないと、感じられた。
2010年6月5日に日本でレビュー済み
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魏志倭人伝、正確には魏志東夷伝倭条の全文現代語訳は読みごたえがありました。
読み返すたびに湧き出る疑問、なぜ今まで決着がつかなかったのかが初めて理解ができました。
水行と陸行が併記されているのにはどんな理由があるのか、興味が次々につながっていきます。
読み返すたびに湧き出る疑問、なぜ今まで決着がつかなかったのかが初めて理解ができました。
水行と陸行が併記されているのにはどんな理由があるのか、興味が次々につながっていきます。
2007年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
私は邪馬台国論争について詳しい訳でないが、本書で新鮮に感じたのは、魏と倭だけに焦点を絞らず、魏志東夷伝に登場する他の民族との比較を行いながら、北東アジア史の流れの中で、魏と倭の関係を読み解こうとしている点である。東夷伝に登場する諸民族のうち、最も多くのページが割かれてるのが倭人であることや、「楽浪海中、倭人あり。」を「楽浪郡とその海の向こうに倭人がいた」と解釈出来ることからは、著者ならではとも言える北東アジア像が見えてくる。